眼鏡概念

概念1.5

毒にも薬にもならない話

はじめに

はじめに、でもなんでもないですが、

簡単に自己紹介をば。

 

書いてる人

シモダヨウヘイ。表記をカタカナにしているのはなんとなく。

 

Twitter: @shimotch 

Instagram: yohei_shimoda

 

大学進学を機に地元長崎を離れて関西入り、卒業後大阪で就職。新卒から8年間勤めた不動産系の会社を2018年に退職して、現在は九州(主に福岡)でひっそりと生活。

 

起きている時間のほとんどは眼鏡着用。視力はとても悪い。無人島に何か1つだけ持っていけるならという質問の回答は必然的に眼鏡、選択肢はない。

 

ここの他にルーツの旅というブログを共同執筆で不定期更新中。

 

座右の銘

ぬるいくらいがちょうどいい。

 

好きなもの

もっとも多感な時期をBUMP OF CHICKENの音楽と共に生き、結果のちの人格形成に大きな影響を与えられる。藤原基央氏を崇める。羽海野チカ先生の漫画も好き。3月のライオンでBUMPとコラボした時には嬉しさのあまり自宅で舞う。

 

本(言葉)を読むのが好き。お酒を飲むのも好き。

どちらも用法次第で毒にも薬にもなる、そういうところが好き。

 

このブログで書きたいこと

今興味があるのはマイクロコミュニティだったりサードプレイスだったり。このあたりを大きなテーマには掲げるが、基本的には書きたいことを書きたいように書く。音楽(BUMP OF CHICKEN)とか漫画とかお酒とかについても触れていきたい。タイトルに「思考vol.◯」が付いているものはまだ生煮えの文章なので、助言なりヒントなりをもらえると喜びます。

 

さいごに

エネルギーを内包しすぎて爆発しないように、熱冷まし感覚で始めたこのブログ。自身を適温に保てるように発散しながら、その放った熱が誰かに届けばこれ幸い。

よろしくどうぞご贔屓に。

エリートじゃなくても美意識は鍛えたい

本のタイトルに度々騙される。

 

書籍を買う理由はひとそれぞれあると思うが、ぼくの場合は大抵なにか困った時ヒントを探すためにそれをすることが多い。書店に行く時はだいたい頭の中が課題でいっぱいなので、平積みされた本の中でもその課題に関連したキーワードが目に飛び込んでくる。そしてタイトルだけで購入した本の内容に騙される。タイトルがわかりやすければわかりやすいほど、ぼくはその罠にはまる。

 

少し具体的に書くと、「ホニャララするための◯つの方法(習慣)」とかいった類の本には地雷が多い。「ホニャララしないための(以下同)」に置き換えられることもあるが基本的に書いてることは一緒だ。だいたいは「すぐやれ」「続けろ」「無駄を減らせ」に要約されることが多い。

 

もう少し具体的に書くと、そこに「夢を叶える」とか「理想に近づく」とかが付け加えられているといっきに地雷臭が増す。スタンフォードだとかハーバードだとか大学名を冠にしてる本(一昔前はそれがバフェットだったりドラッカーだった。)もやたらと見かけるが、ほとんどが同じことを書いてるので1冊読めばそれで十分。

 

なんというかこの気持ち、「個室居酒屋」で検索して予約したのに、当日案内された部屋が可動式パーテーションで区画されただけだった時に感じるそれに似ている。嘘をつかれたわけじゃないのになんか騙された感。そしてそこに同席者を巻き込んでしまった時の所在なさたるやもう。だから個室を予約する時は細心の注意を払うし、細心の注意を払って予約しても当日店に行く前に「個室ってなってたけど多分半個室みたいなものだよ」と他の参加者に伝えて自らに保険をかけることも忘れない。

 

とはいえすべての居酒屋がそんなお店ではない。中には良い方向に期待を裏切る素敵なお店もある。どうせ半個室でしょって斜に構えて入ったら離れの部屋に通されて店員のサービスも満点、料理も抜群だった時の喜びったらもう。前置きが長くなったけど、今回友人に借りて読んだ本がまさにそれだった。

 

 

この「エリート」は、大衆居酒屋における「個室」とか「創作料理」みたいなものだろう。「世界の」は大衆居酒屋における「完全」という修飾語のように作用している。つまり「世界のエリート」は「完全個室」と読み替えが可能だろう。もうにじみ出る胡散臭さを隠せない。書店でこの本を目にしても、「どうせ半個室でしょ」と斜に構えモードに入ってしまう。良い本なのにもったいない!

 

グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補を送り込む、あるいはニューヨークやロンドンの知的専門職が、早朝のギャラリートークに参加するのは、虚仮威しの教養を身につけるためではありません。彼らは極めて功利的な目的のために「美意識」を鍛えている。なぜなら、これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない、ということがよくわかっているからです。

(「忙しい読者のために」(p14))

 

美意識とは

本著では目まぐるしく変動する昨今の世の中においてのサイエンス重視の意思決定の限界と、そんな世の中において意思決定をしていく上での判断基準として美意識の重要さが説かれている。美意識とは物事を判断するためのモノサシ的に用いられ、「真・善・美」に基づいて感覚的に顕されるものである。

 

サイエンス重視の意思決定の限界については幾つか理由が書かれているが、中でも「差別化の喪失(p48)」には納得した。

 

情報処理を「論理的」かつ「理性的」に行う以上、入力される情報が同じであれば出てくる解も同じだということになります。しかしここにパラドックスがあります。というのも、経営というのは基本的に「差別化」を追求する営みだからです。

(第1章「論理的・理性的な情報処理スキルの限界」(p48))

 

上記引用にあるようなパラドックス(矛盾)を解消させるためには何かで差別化を図らないといけない。他の人と戦略が同じ場合に勝つ(差別化する)ための条件として、本著では「スピード」と「コスト」をあげている。同じものであれば早い方がいいし、安い方がいいという評価基準。今日の企業でもまだスピード勝負コスト勝負をしているところはあるし、ぼく自身それを判断の基準に置いてしまうこともしばしばある。そんなじり貧の消耗戦の中で生活している。

 

本著ではそこまで言及はされてなかったけど、この消耗戦には今後必ずAIが入り込んでくる。序盤こそAIを活用できるか否かで差別化できたとしても、すべての企業がそれをやりだすともうスピードもコスト(人件費)も削りようがなくなる。そんな世界でも日々意思決定をして、他者との差別化を図っていかなければならない。そこで重要になってくるのが直感や感性とのこと。

 

誤解してはいけないのが、著者が問題視しているのはあくまでサイエンス重視に寄りすぎているということで、決して分析や論理を軽視して良いということではない。ロジカルな判断基準に片足は置きながら直感とのバランスをとって意思決定をすることが大切で、直感だけに頼って非論理的な判断をすることを著者は「バカ」と一蹴している。

 

直感と感性の時代

著者は美意識を磨くことを「リーダーシップの問題(p180)と述べている。今後訪れるであろう分析とそれに基づく論理的判断が差別化の手段にならない世界では、不確定な直感に頼らざるを得ない場面がどうしても出てくる。そこで意思決定できるかどうか、その意思決定に対して責任を取れるかどうかが今後リーダーに求められる資質の一つになるとのことだ。

 

当然、すべての意思決定(判断)には責任が伴うし、その責任は意思決定者がとらなければならない。となると、なるべく確実な(リスクの少ない)ものを選びたくなるし、結果サイエンスによる意思決定を取りたくなる気持ちもわかる。とはいえ、上にも書いたようにその先にはじり貧の未来が手招きしている。

 

周りになんと言われようと自分が信じる内在的な美意識をもち、それに基づいて意思決定した以上は腹をくくって全責任を取る。そのために美的感覚を鍛え養うことがこれからの時代を泳いでいく上で大切で、冒頭酷評した本著タイトルの「?」に対する答えもおそらくこのあたりになってくるだろう。

 

ただ、直感や感性ってどこまで行っても各自の基準に基づく曖昧なものなので、それを他者に納得してもらうのはむずかしい。ジョブズであれば納得してもらわなくても「こう思う!」でまかり通るのかもしれないが、通常の人がそれを言っても頑固者認定されて相手にされない。自分にカリスマ性があると自負していない限り、「私はこう思うけど、あなたはどう?」くらいのスタンスで考えてた方がいいと思う。反応を見ながらその過程で美意識を養っていけばいい。

 

ちなみに、本著では美意識を鍛える具体的な手段として、「絵画を見る(観る)」「哲学に親しむ」「文学(詩)を読む」といった行為が挙げられている。こんなテーマを肴に居酒屋でお酒片手にゆるっと話したら楽しそう。オープンスペースだとみんな恥ずかしくて白熱した対話ができないかもしれないから、やるなら完全個室居酒屋を予約したい

思考vol.9 〜オンラインサロン〜

 

こんなことを呟いた。

 

最近またコミュニティだとかオンラインサロンだとかが一部を中心に流行ってきている気がする。気がする、と書いたのはぼくがある程度その一部の情報を意識的に取り入れるようにしているからで、それ以外の世間で流行っているかどうかは定かじゃない。ただ少なくとも一部では少しずつゆるい共同体が広がりを見せている。

 

日頃の仕事だけで承認欲求とか、その上の自己実現欲求まで満たせてしまうようであれば必要ないのかもしれない。けどこのご時世、特に若ければ若いほどその条件をクリアするのは難しい。石の上で三年耐えたら誰でもなんとかなった時代はそれでよかったかもしれないが、今は石の上に三年座ってても何にもなれない。ただ3つ歳を重ねた自分がいるという残酷な世界が待っている。

 

そんな言いたい事も言えないこんな世の中でポイズンを吐いてても仕方ない。少しでも前向きに、かつ自身の素地を高めようという人たちのジレンマを解消する場所として、コミュニティやらオンラインサロンやらが必要とされている。家庭や職場みたいに強いつながりではなくて、気が向いた時だけ寄る集まり。やる気があれば属したらいいし、やる気がなければ抜けたらいい。別になくても死なないかもしれないけど、持ってて困るものじゃない。そこで意識的に己の評価を高めていきたい!

 

そういうのじゃない

みたいなことを考えつつ、同時に「意識高すぎィ…」と顔を真っ赤にする自分がいる。なに承認欲求って!ジレンマを解消する場所って!胡散臭い!

 

◯◯先生の元に集ってお話を聞くサロンじゃなくて、なんかもっとゆるく集まれる場所がほしいんです。お酒片手にいろんなことを話しながら「おおそれやってみようか」って気軽に手を出せるような場所がほしいんです。でもそういう場所がどこにあるかわからない。目立つサロンはだいたい◯◯先生が主催してる。なら作れ!というのが上の呟きに至ったきっかけだった。

 

※イメージは飲み屋のカウンター席。共同体って単語がすでに意識高い。

 

作れ!となってすぐに何人かに声をかけてみた。面白かったのが、同世代からちょい上世代までは「とりあえずやってみよう」って前向きな反応だったのに対して、40歳超の人たちの反応が鈍かった。年齢と勢いの因果関係もちょっと追っかけてみたい。

 

サロンやります 

声かけた中で興味持って話聞いてくれた人ととりあえず一個上に書いたようなゆるい集まりを立ち上げる予定。居住地が鳥取(その人)と福岡(ぼく)だから基本オンライン上で、招待制のクローズドな場所を想定してるし、常連が集まるカウンター席みたくしていきたい。

 

理想は同時にいくつかのサロン(テーマは別)を立ち上げて並行で進めていきたい。アートとか哲学とか言語とかについてゆるーーーーーーーく話す集まりとか超楽しそう。

 

オンラインサロンに関する進捗は追ってこのブログだったり日々の呟きだったりでフィードバックしていく予定です。もしそういったゆるいつながりに興味があればお声がけください。

コミュニティについて考える時に読んでおきたいHUNTER×HUNTER(主催者編)

続き。

 

shimotch.hatenablog.com

 

前回はコミュニティに参加するときに考えておきたいことをいくつかあげた。ちょっと意識するだけでコミュニティから吸収できるものは何倍にも膨れあがるし、意識してなかったら何もしてないのとほとんど変わらない結果になる。これは間違いないと思う。が、それはあくまで参加者としてコミュニティ所属した場合の話で、結局のところコミュニティは作って(旗を振って)なんぼだとぼくは思っている。

 

大阪で会社員をしていた頃、仕事とは別でフットサルチームを立ち上げたり、読書会などのイベントを開催していた。参加者が少ない時にコート代を多めに支払ったり、何があっても休めなかったり、参加者だったら味合わなかっただろうリスクもたくさん背負ったけど、それを上回るメリットがあった。やってきたことは直接自分の実績にカウントされて、対外的に話をするのもだいぶ楽になった。し、知り合いも増えた。

 

みたいな経験をしてきたから、別に大層な集団を目指さなければ、ちょっとしたコミュニティは別にネームバリューがなくても誰でも気軽に作れる。で、そのちょっとしたコミュニティでも主催者を経験するのは絶対に無駄じゃない。みたいなことを考えながら、ああやっぱりグリードアイランド(以下G・I)的コミュニティを作りたいなぁと思ったので、主催者目線でコミュニティを考えるにあたって大切なことをつらつら書いていく。G・Iの主催者、ジンと10人の仲間達は理想に近いコミュニティを作り上げている。重要なポイントは下記の4つ。

 

  1. 参加者に共通の目標を与える
  2. レベルアップするための環境を作る
  3. 参加者同士をつなげる仕組みを作る
  4. 外部の侵入者から守る

 

1. 参加者に共通の目標を与える

G・Iにはゲームクリア(指定カードのコンプリート)が共通の目標として掲げられている。それとは別に大富豪バッテラ氏の報奨金もあるが、それもゲームクリアを達成するための副次的なものだ。この目標を達成するために、参加者はゲーム内で様々なミッションに取り組み、結果G・Iの世界が動いていく。この目標がなかったら参加したはいいものの何をしたらいいのかわからず、モタリケ状態になってしまう。そしてはじめからモタリケになることがわかりきっているコミュニティに人は参加しない。(※モタリケが分からない人は前回記事を御覧ください)

 

「なんのために参加するのか」は各自で決めればいいと思うが、それを決めた上でどこかのコミュニティに参加する場合、そのコミュニティで「なにを達成できるのか」という目標がハッキリしていることが重要だと思う。◯◯を達成したい人集まれ!みたいなアプローチがうまいことできれば、自然とそれを達成したい人が集まってくる。

 

2. レベルアップするための環境を作る

HUNTER×HUNTERは修行シーンの描写がとにかく素晴らしい漫画だと思う。なかでもネテロの正拳突きとクラピカが鎖を舐めたりかじったりするところとかよだれが出るくらい好き。…よだれを拭いて話を戻すが、G・I編も序盤は主にゴンとキルアの修行シーンが描かれている。

モンスターを相手に初めは苦戦するが、念能力を使いながら観察することで弱点を見抜きどんどん倒しながら成長していく。ビスケも「順序よくゲームを進めていけば確実に強くなれるようプログラムされている」と感心するように、このモンスターは念能力を用いた戦闘能力をレベルアップさせるための修行相手として設計されている。

 

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(出典:HUNTER×HUNTER15 富樫義博)

 

コミュニティでも小さなイベントのようなちょっとした問題を適切に設定することで、修行相手のモンスターを生み出すことは可能だ。そしてそのモンスターを倒した参加者のレベルは当然上がる。重要なのはいかに確実に強くなれるよう各イベントをプログラムするかと、いかに適切に修行をしてもらえるかだろう。その過程でビスケがゴンやキルアにしたように、ちょっとしたアドバイスをするのも良い。

 

3. 参加者同士をつなげる仕組みを作る 

前回の記事にも書いたが、ゲーム世界の中でゲームマスターはほとんど登場しない。開始時のチュートリアルすらなく、基本は参加者同士のやり取りによって進行している。そのため、この世界の中には参加者同士をつなぐ様々な仕組みが見られる。呪文カードや人数を揃えないと挑戦できないミッションや、カード限度化枚数の設定(奪い合いを助長)もその仕組みのひとつとして考えられる。

 

一旦仕組みさえ出来てしまえば、主催者が声をあげなくても勝手に動いていく。参加者がちょっとしたイベントの主催者になるのをイメージしてもらえればいいが、同時多発的にいろんな物事が進行されていくとコミュニティは活性化する。

 

4.外部の侵入者から守る

G・ Iでゲームマスターが登場する数少ないシーン。正当な手段(前回記事に書いた条件をクリアすること)をとらずにゲーム世界にたどり着いた不法侵入者を排除(エリミネイト)している。

 

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特別スペルで不法侵入者もBAN(出典:HUNTER×HUNTER15 富樫義博)

 

理想的なコミュニティに最も必要なものは安全であること。そしてその安全を保つのは主催者の大きな役割の一つだ。参加者が安心してコミュニティ内の各イベントに参加できるように、日々外敵の侵入には気を配らないといけない。

かつ内部は内部で爆弾魔(ボマー)みたいな危険思想を持った参加者が出てくることもある。G・Iの中では特段の違法性がないので放置されていたが、現実世界でコミュニティを作る時はそのあたりもケアしていかないといけない。(じゃないと他の友好的な参加者が大量に死んでしまう)

 

さあ、コミュニティをつくろう

前置きと本題のボリュームがほとんど同じになってしまった…。つらつらと能書きを垂れたけど、とりあえず作ってみるのが一番の勉強法だと思う。とはいえ一旦作ったら作ったで参加者に対する責任は発生するので、最低限の基本として上記が一読に値するものであればなにより。

最後にG・ I編のいちばん好きなところを書いて終わるが、それはこの世界をジンが一人で作ったのではなくて、ジンを中心とした11人のメンバーでつくりあげたところだ。ひとりのカリスマに頼ることなく、それぞれがそれぞれの特性を活かして多くの人が参加するゲーム世界を作成・運用している。G・Iを作る目的で集められた少数精鋭のコミュニティこそが、ぼくが今つくりたい理想の形に一番近い。

 

そのためにもまずは念能力使えるようにならないとなぁ。

バースデーサプライズが苦手な人のためのHAPPY

本日4月12日。

 

そう、我らが藤原基央大先生の誕生日。コンビニからいちごサンドが消え、「ふじわらせんよう」とパッケージに書かれたそれが圧倒的に増える日。ぼくがコンビニのマーケティングをやっていたら普段より多めに仕入れるし、ぼくがコンビニのマーケティングをやっていたらこの日のためだけに日頃から周囲のBUMPファンに対して執拗なマーケティングを行う。間違いなく落第点なのでコンビニのマーケティング担当にはなれない。

 

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ファンを虜にする“ふじわらせんよう”いちごサンド 

 

朝からずっとHAPPYを聴いていた。

 


BUMP OF CHICKEN『HAPPY』

 

世間一般でよく歌われているバースデーソングは、あなたのためにやっているよというのがこれでもかとばかりに強調されている。散々TO YOUを重ねた上に、さらに押し付けがましくDEARを挟んで、トドメのTO YOU。僕はそれがあまり得意じゃない。

 

お店で美味しいご飯を食べている時にいきなり照明が暗くなって、一瞬の沈黙の後に大音量で「ごーぜんれーぃじをすぎぃーたぁーらー」というよく聴くメロディが流れ出し、手拍子する店員を引き連れて笑顔のバイトリーダーがバチバチなってるよく分からない手持ち花火が刺されたケーキを持ってきて、周りにいる他のお客さんもちょっと手拍子してくれるタイプのやつ。ぼくはそれがあまり得意じゃない。自分の誕生日が近づいた時にちょっとおしゃれなダイニングで飲み会があるときは少なからず警戒するし、突然照明が暗くなったらああやっぱり来たかと身構えるし、いざ身構えて自分じゃなかった時の恥ずかしさったらない

 

お祝いしてくれる気持ちはとても嬉しいのに、それを素直に喜べないしょうもない自分に腹がたつし、忙しい中準備してくれた人たちに申し訳ない気持ちになる。なんならただおしゃれなダイニングでご飯を食べてただけなのにいきなり照明落とされて会話の邪魔になるようなボリュームで音楽流されて、あげく手拍子や拍手まで強制されてしまった他のお客さんたちへの罪悪感でいっぱいになってしまう。たまたま居合わせた彼ら彼女らにしてみればサプライズハラスメントでしかない。

 

そんなこんな余計なことばかり考えるぼくにとって、HAPPYの浮かれてない感じはものすごくありがたい。TOもDEARもでてこない、まったく押し付けがましくないこんなお祝いの仕方があるんだと肩の力が抜けた。バースデーサプライズの時に使われる曲の定番になればいいのになと思う。DREAMS COME TRUEの牙城が高すぎて生きている間にその夢が叶うことはおそらくないだろうけど。

 

特別な日にこそ当たり前のことを

健康な体があればいい 大人になって願う事

心は強くならないまま 耐えきれない夜が多くなった

「HAPPY」

 

「健康な体があればいい」から始まるバースデーソング、斬新すぎる。あなたのためにやっていることを全面的に押し出す他の曲と違い、あくまで自分が思っていることを淡々と歌っている。これならぼくだってなんの申し訳なさも罪の意識も感じずに、純粋に誕生日を喜ぶことができる。確かに健康な体は欲しい、2番の歌い出しにもなっている「膨大な知識」だって間違いなく欲しい。それも大人になればなるほどにそれを求める気持ちは強く大きくなってきた。

 

小さな頃は健康な体が欲しいなんて思うことはなかった。望まなくても、健康だったから。でも年を重ねるごとに確実に着実に体力は衰えていっている。去年できたことができなくなっていく。健康な体という当たり前にあったものが、年々当たり前じゃなくなっていく感覚に襲われる。

 

知識だってそう。小さい頃は自分の世界がすべてで、眼に入る範囲のことを知っていたら生きていけた。でも年を重ねるごとに周囲の世界との関わりが増えて自分の当たり前が当たり前じゃないことに気づく機会が増え、同時に知らないことの量も爆発的に増えた。そんな広がった世界の中で周囲と友好的に保とうと思ったら、その常識を理解しないといけない。理解するためにはまず知らないといけない。そうやって年々知識を求めるようになっていった。

 

健康な体が必要ない人なんてよっぽどのことがない限りいないと思うし、膨大な知識は持ってて困るものじゃない。ただそれを求めるのは当たり前のことすぎて、普段なかなか意識することがない。そういうことを意識する上で、ひとつ歳をとるタイミングはとても適切。大人になったことが可視化される節目の日だからこそ、花火バチバチ言わせて浮かれてるんじゃなくて、こういう当たり前のことをあらためて考えてみるのもいい。

 

ひねくれた表現の裏側

藤原基央の歌詞にはひねくれた表現が時折用いられる。代表的な曲がベル、レム、モーターサイクル。HAPPYもバースデーソングにもかかわらず、そのニュアンスが読み取れる一節がある。

 

悲しみは消えるというなら 喜びだってそういうものだろう

「HAPPY」

 

こんなにも皮肉に満ち満ちた歌詞がサビに使われているバースデーソングを他に知らない。そのくらい際立っているし、もう本当に好き。藤原基央生まれてくれてありがとう。なんてことはさておき、この一節だけ切り取られてもわけがわからないと思うので前後の歌詞で肉付けしていく。

 

優しい言葉の雨の下で 涙も混ぜて流せたらな

片付け中の頭の上に これほど容易く日は昇る

「HAPPY」

 

優しい言葉の雨に濡れて 傷は洗ったって傷のまま

感じる事を諦めるのが これほど難しい事だとは

「HAPPY」 

 

「悲しみは消える」というのは誰かが誰かにかけた優しい言葉のことだろう。この言葉には涙を混ぜることはできないし、この言葉では傷を洗い流す事はできても癒すことはできない。その瞬間をやり過ごすためのうわべだけの言葉だ。そしてそれに対する「喜びだってそういうものだろう」という返答。端的!

 

バースデーサプライズってその瞬間だけ恐ろしく盛り上がるけど、あっという間に終わっていつもの日常、ただのお食事会に戻ってしまう。それが寂しくて、だからあんまり得意じゃない。もっと言うとサプライズに限らず、誕生日がそう。当日は連絡とかメッセージとかそれこそ優しい言葉をたくさんもらうけど、1日経てばもう忘れ去られてしまう感じが寂しい。SNSが流行ってからは特に、うわべだけの優しい言葉が増えた。言葉だけじゃなくていいねやファボ、スタンプにどんどん置き換えられて、それは雨のように日々降り注いでる。

 

瞬間的に満たすことはできても、根本にある寂しさを解消することはできない。そういった思いが、この「よろこびだってそういうものだろう」という一説に込められている。藤原基央はそんな優しい言葉をかける代わりに、「なんか食おうぜ」と歌い、「そんで行こうぜ」と歌い、「僕と一緒に歌おう」と歌う。きっと藤原基央は誕生日じゃなくても同じことを言ってくれるだろう。大事なのは瞬間的に用いられる表面的な言葉じゃなくて、姿勢や態度含めて普段からどれだけ相手のことを考えているかということなんじゃないか。

 

とはいえ誕生日は特別な日

ここまで散々なことばかり書いてきたが、誤解のないようにここで念押ししておく。誕生日サプライズは苦手なだけでお祝いされること自体はとても嬉しい。お祝いのメッセージも嬉しい。毎年日付が変わる前から意味もなくソワソワしている。

 

だからこそ優しい言葉とかうわべだけのTOやDEARとかバチバチの花火だけで終わらせるんじゃなくて、もっと当たり前だけど意識してないことを考えたり、当たり前すぎて伝えられてないことを伝えたり、そういう日にしたい。なんてことを自分の誕生日でもないのに考えさせてくれる藤原基央はやっぱり尊い

 

HBFJ!

コミュニティについて考える時に読んでおきたいHUNTER×HUNTER(参加者編)

HUNTER×HUNTERがまた長期休載している。

 

ミックス1巻分を連載して、しばらく休載のサイクル。次の連載が始まるころには内容を忘れているからコミックスを読み返すことになるし、よく練られた戦略。この漫画は各編ごとに構成が練りに練られていて面白いけど、中でもグリードアイランド編がものすごく好き。

 

HUNTER×HUNTER モノクロ版 14 (ジャンプコミックスDIGITAL)

HUNTER×HUNTER モノクロ版 14 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

グリードアイランド(以下G・I)は主人公ゴンの父親、ジンが仲間と一緒に作ったハンター専用ゲーム。カードを集めるゲーム要素しかり、ライバルとの共闘しかり、初めて読んだのがいつかは覚えてないけど確実にぼくの中の厨二部分をこちょこちょくすぐられた。今も読み返すたびにくすぐられ続けている。こそばゆくなくなった時にぼくの中の厨学二年生が死ぬ。読みながらこんなゲームがあったらやってみたい気持ちと、あとこんなゲーム世界作ってみたい気持ちに駆られる。前者はのちに発売されたゲームで大いなる絶望とともに実現された。後者はコミュニティづくりで再現可能だと最近また改めて考えている。

 

ハンター×ハンター?幻のグリードアイランド?
 

 

今コミュニティについて考えるにあたってG・Iの参考になるところを、大きく参加者目線と主催者目線に分けて備忘と共有のために書いていく。とりあえず今回は参加者目線で読むG・Iの重要なポイント3つ。

 

  1. 参加するための最低条件を満たす
  2. 環境を利用して修行する
  3. 他の参加者と交わる

 

1. 参加するための最低条件を満たす

G・Iをプレイするためには二つの条件を満たす必要がある。まず一つ目はソフトを入手すること。ゲームをプレイするためにはそのゲームを手に入れる。入手難度は甘めに設定されていて、「金さえ用意できれば入手自体は難しくない(=ハンターとしてはこれくらい入手できなければ問題外)」らしい。とはいえ定価は58億ジェニー(ジェニーとはH×H内の通貨単位。1ジェニー=0.9円)なので完全に金銭感覚がバグっている人が入手難どを決めている。当然そう簡単に手には入らず、ゴンたちはオークションで手に入れた大富豪が開催した参加者募集のオーディションに合格する方法でこの条件をクリアしている。ゴンの金銭感覚がバグってなくてよかった。

 

もう一つの条件は念能力を習得していること。念能力はハンターが身につける特殊能力みたいなもので、ゲームをプレイするためにはゲームソフトをセットした状態で念能力(練)を発動する必要がある。つまり、G・Iのゲーム世界にいる参加者たちは最低限念能力を使う能力を持っている。作中にモタリケというモブキャラが出てくるが、この人もれっきとした念能力の使い手だということをぼくらは忘れてはならない。

 

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モタリケ。強さはさておき、ゲームの中で定職について結婚までした猛者。(出典:HUNTER×HUNTER14 富樫義博)

 

参加にお金と最低限の能力が必要なのは昨今のサロンやコミュニティに通づるところがある。まずはお金。コミュニティに参加できるくらいのお金は入手できなければ問題外、とまではいかなくてもそんな感じだろう。そしてもう一つの能力はH×Hみたいにオーラを可視化することもそれを見て判断することもできないので、(お金を払ってでも参加したいという)モチベーションが代わるものとしてみなされている。現時点では全ての指標に貨幣が用いられている。そのくらいお金に対する共通認識は強い。

 

2. 環境を利用して修行する

1の参加条件をクリアして晴れてコミュニティのメンバーになってもそれで終わりじゃない。むしろやっとスタートラインに立った段階で、進み方を誤るとモタリケ街道まっしぐらだ。定職や結婚が目的ならコミュニティよりもハローワークとか結婚相談所に行った方がまだ確率も高いしリスクも少ないだろう。

 

G・Iの中でゴンたちは様々なモンスターや他の参加者と戦う。最初はそこまで強くないモンスター相手にも苦戦してしまうが、よく観察することで弱点を見つけ、次第に圧倒していく。また同時に参加していたビスケの教えにより様々な修行を行い、結果念能力がはるかに向上(ゴンは必殺技も取得)する。修行しなかったらどうなるかはもうお分かりだろう。そう、モタリケになる。

 

コミュニティも同じだろう。入ったからといっているだけで自動的にレベルアップするわけじゃない。修行する環境が整った場所、くらいで考えておいたほうがいい。あくまで自ら修行しないと能力は向上しない。

 

3. 他の参加者と交わる

G・Iではゲームに参加してからゲームマスター(製作者)と接する機会はほとんどない。大半はプレイヤー同士のやり取りによって進められている。そのためにプレイヤーがやり取りできる呪文カードがあったり、途中メンバーを15人集めないと挑戦できないミッションがあったり、プレイヤー同士にコンタクトを取らせるような設計が為されている。

 

ゴンたちもビスケと出会うことによって本格的な修行を始め、ライバルのヒソカと共闘することでゲームマスターの一人を倒している。またプレイ後半は他プレイヤーとカードを交換することで効率良くクリア条件を満たしていっている。

 

ただじっとしてるより、色んなところに顔を出し口を出し手を出した方がずっと効率がいい。コミュニティやサロンでもきっと同じ。

 

まとめ

3つのポイントを行動レベルに落とし込むと下記の通りになる。今後なんらかのコミュニティに属することを検討している人はちらと頭の片隅に入れておいてもらえると嬉しい。検討してない人はここまで読んでいただいてありがとうございます。もうちょっとで終わりますので。

 

  1. まずは参加するためのお金とモチベーションを用意する
  2. 入ったら環境を活かして自主的にレベル上げをする
  3. 他の参加者とは積極的に交わり効率をあげる

 

コミュニティ参加のハードルはそんなに高くない。少なくともG・Iを入手するよりは簡単。とはいえG・ Iに価値がつくのは支払うだけのメリット(知名度、認知度)があるからで、単純に参加費が安いコミュニティ=良い!ということではない。自分がどこかのコミュニティに属する時にはコスパに囚われることなく意識して選んでいきたい。(意識して選びすぎて結局まだどこにも属せてないあるある)

 

以上、主催者目線を書きたいがための壮大な前置きをお送りしました。本題はまたいつか。

思考vol.8 〜手間とストレス〜

気になるエントリを見つけたらFeedlyにぶち込むことを続けてたらぐちゃぐちゃになってきた。あとすべての記事を読むわけじゃない(全部読んでるブログもあるけど)ので、膨大なその他の記事に読みたい記事が埋もれる現象に陥ってしまった。

 

収拾がつかなくなってきたので改めてRSS環境を整えることに。良い方法はないものかとうろうろしていて見つけたこちらの記事を参考にした。

 

【雑記】情報収集は、Slack(収集)-> Pocket(スルー) -> Instapaper(読む) -> Evernote(全文)で決まり☆ - works4Life

 

結論:すごくいい。

 

PocketをスルーしてInstapaperとか100回生まれ変わっても思いつかない。

 

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(Instapeparに作成したRSSフォルダ。マリオの追悼文超良かったです。) 

 

例にならってInstapaperにRSSフォルダ作ったけど、読みたい記事だけが整然と並んでいて美しい。Feedly単体では味わえなかった(使いこなせてなかった)キュレーションしてる感がそこにある。かつInstapaperで読んで気に入ったらお気に入りボタン押すだけでEvernoteに全文保存されるのがとても快適。Evernoteに取り込むこと自体そんな手間じゃないかもしれないけど、それでもそのちょっとした手間がストレスになってた。それが1クリックで解消されるからこのシステム最強。

 

Fukoがイマイチ分からなくてSlackからPocketにうまく取り込まれないけど、今の所Feedlyからの保存でストレスないのでよし。感じるようになったら対応しよう。

 

実行までの手間をいかに減らせるか

何かをするまでに取る手段の数が多ければ多いほど、複雑であればあるほど余計なストレスが蓄積する。そのストレスに耐えられたら実行に移せるし、耐えられなかったら挫折する。実行することの重大性にもよるかと思うが、面白情報のザッピングみたいにやってもやらなくても大して生活に影響のないことであれば、ちょっとしたストレスも命取りになる。Don't think feel.でできるくらいでちょうどいい。

 

紙の本が素晴らしいのは目に付いた時すぐに読めるから。電子書籍は読むに至るまでに幾つかのステップを要する。それすらも手間に感じてしまうことが多い。この間買ったkindleはまだそのアクションが少ないからいいけど、それでも紙本とkindleの両方が手元にあったら紙の本に手を伸ばす。

 

これは個人的な癖かもしれないけど、本を読んでる最中にページをいったりきたりする。 紙の本はそれがすごい楽。あとめくったページ数の感覚でだいたいどの辺にどんなことが書いてあったかがなんとなくわかる。電子書籍だと操作のストレスはもちろん、今何ページあたりを読んでるのかを意識しづらくて、何がどの辺に書いてあったかがイメージしづらい。

 

とはいえ紙の本が万事素晴らしいわけでもない。保管に場所を取ることと持ち運びの自由度の低さはストレス源になる。これも個人的な癖かもしれないが、一度に数冊の本を並行で読む。だから必然的に荷物は増える。この点は電子書籍側に軍配があがるので、今のところは併用することでストレスのバランスを保っている。

 

ストレスのバランス

身の回りに溢れる道具やアプリなんかの拡張装置の多くは、基本的に利用者のストレスを解消するために設計されている。問題はその装置にたどり着くまでのストレスをどうやって減らすか。今回のRSS環境整備もたまたま綺麗に纏められた記事を参照できたから良かったものの、0から考えろと言われたらすぐに匙を投げていただろう。良質なブログはストレスを軽減させる

 

とはいえまったくストレスのない環境は面白くないし、成長しない。トマトも劣悪な環境の方が美味しくなると聞く。人間も一緒だろう。自分がどこまで耐えられるかを認識しつつ、耐えられないところだけ拡張装置に甘えつつで上手くストレスと付き合っていくことが大切な気がする。

 

これは自分が発信する立場になった時にも意識しないといけない。文章やコミュニティも基本的にストレスを減らすことを考えながらも、どこかに考える余地みたいな負荷を残すくらいの設計がちょうどいいのかもしれない。あとは発信者と受信者の信頼関係でかけられる負荷も変わってくるだろう。僕のブログには今のところ信用もなにもないので、なるべく読み手の皆様に負荷をかけない方向でこれからも書き続けたい。(意識が低い)

 

追記

今回の環境構築で唯一Slackだけ活用できなかったけど、別のことに使える気がする。これ使ってオンライン読書会とかできないものか。考えよう。

思考vol.7 〜器用貧乏〜

なにかと飽きっぽい性格だ。

 

いやほんと冒頭から書くようなことでもないけど、もう何年も前から気づいていた。対象を知ってから興味を持つまでの時間も一般平均よりは短いとは思うものの、興味を失うまでの期間が圧倒的に短い。瞬間沸騰、瞬間冷却。

 

一旦手を出したらとことん気になって、隙間時間のほとんど使って調べたり触ったり買ったり見たり聴いたりしてしまう。BUMPと羽海野チカ以外のアーティストは誰かの影響で好きになってるけど、紹介してくれた人を置き去りになって熱狂した。そして飽きていった。その道を極めるなら10000時間が必要だなんてことをよく耳にするけど、なにかひとつのことにそんな時間を割いた記憶がない。だからかもしれないけど、未だにこれといって人に誇れるような能力、特技、趣味がない。好きっていうのがお恥ずかしいレベルのものは数え切れないほどあるが、お恥ずかしすぎて履歴書には書けない

 

T字型

T字型という言葉が一昔前の啓発本で流行っていた。広く浅い知識を持って、その中の一つの分野で突き抜けたスペシャリストになることを意味していて、当時の理想の人材像だった。その当時はまだ青かったので案の定興味を持ち、これからはT字型の人間になろうと躍起になってあれこれ試したが、どの分野もそう長く続かなかった。なんならT字型人材になろうというマイブームもあっという間に終焉を迎えた。

 

ブームを過ぎたとはいえ忘れたわけじゃないから、意識の片隅にはあって。だからこそ多少のカラーバス効果もあったかもしれないけど、なんしかスペシャリストが視界に入った。そして目につけばつくほど一芸を持っていない自分への失望と、突き詰めているその人に対する嫉妬だけが募っていった。もがけばもがくほど結果を残している誰かとの差を見せつけられる地獄、T字型人材地獄の中にいた。語呂はいいけど二度と行きたくはない。

 

地獄からの脱出

思い出話ばかりしても仕方がないから、地獄の抜け方についても書いておく。あくまで個人的な体験によるものだし、そういうケースもあるんだなぐらいで見ていただきたい。

 

契機は色々あったけど一番大きかったのは日本酒を飲みだしたことにあると思う。あ、お酒に逃げろという話ではないですよ。もともと好んで飲んでいたけど、ある時期からちょっとだけ意識して飲むようになった。持ち前の瞬間沸騰スキルを活かしてあれこれ調べ出した。といっても唎酒師などの資格は持ってないし、資格勉強は絶対に飽きると思って始めてすらいないし、始める気もない。ライセンスよりも美味しいお酒を楽しく飲むための最低限な基礎知識が欲しかった。なので飲んだお酒の記録をつけたり、日本酒のイベントに行ったり、日本酒のイベントを手伝ったり、楽しめる範囲で少しずつ付き合いを深くしていった。

 

イベントを手伝うくらいになると自分が誰かに勧める機会も増えていった。先にも書いたように無資格だし、専門的な知識もない。けど楽しむための最低限の知識だけあれば、それなりに説明もできた。

 

相手がどのレベルまでを求めてるかにもよるけど、お酒のイベントで聞かれたことの大多数は「これはどんな味のお酒?」ということだった。これは専門的な知識がなくても、ラベルに書いてある情報と自分が飲んだ時の感覚でなんとなく説明することができる。このなんとなくってのがミソで、あくまで五感の感覚は人それぞれだから、それに正解はなくて、あくまで自分はこう感じるってのが明らかに外れてなければ事足りた。

 

これって別に日本酒に限らずどの分野でもそうだと思うけど、質問してきた人よりもちょっとでも詳しかったらその人の役に立てる。そういう機会は日常のありとあらゆるところにある。そして仮に自分が質問する側だったらその道の専門家よりもちょっと詳しいくらいの方が気負わずに聞きやすい気がする。さらに誰かに教えてると興味が持続するみたいで、未だ日本酒は飽きていないし今後もよっぽど肝臓ぶち壊れない限り飽きる気配がない。

 

器用貧乏を追求する

極めたいよりも知りたいの方にモチベーションを感じるうちはT字型にはなれない。でもせっかく好奇心が湧いたのなら興味の向く方について楽しむ方が少なくとも健全だと思う。専門的な知識は今や調べたらチョチョイと出てくるし、知的分野における専門家の優位性ってあんまりないような気がするし、なんなら身体的な専門性も今後機械の力で再現可能になってくると妄想している。器用貧乏に優しい世界がきっと到来する。

 

そうなってきたら一分野における専門性よりも、全然異なるAとBを繋げたり編集したりする能力の方が重宝されるだろうし、言わずもがなそのためにはいろんな物事を知っている方が良い。少なくとも僕はなにかひとつでレベル100を目指すことに長けていないので、レベル5ぐらいの趣味特技をこれからもどんどん増やしながら、ちょこちょこレベル上げしていきたい。

 

最後の方は希望的観測ぶん投げる形になりましたが、自分以外の器用貧乏な人たちに書くことに飽きてしまう前にどうしても伝えたかったので、そのままぶん投げます。あしからず。