眼鏡概念

適温探し

毒にも薬にもならない話

1と0の間についての一考察

4月になると何か新しいことを始めたくなる。

 

まぁ1月も年の始めで同じような気持ちになるし、夏が始まる7月も、年内残り3か月になる10月も何かを始めたくなるから、実際は1クールに1回はその感情が訪れる。始めたことが続いているかどうかは言わずもがな。そんなサイクルを今年も過ごしているが、なんだか年々新しいことに挑戦するのが億劫になってるような気がして、その理由を考えていた。

 

あたりを見渡すと周りの同世代が徐々に落ち着きだして、なにかを始めたり興味を示したりする人が減り、なんとなくそこかしこにそろそろ落ち着かなきゃなという空気感が漂い始めていた。田舎で暮らしているとプラスαで地域一帯にその空気感がふよふよしている。この「落ち着け空気感」がなかなか厄介で、ちょっとしたはずみでその空気を浴びてしまうと、熱意がふわっと消えてしまう。そして残るのは予定調和の世界。当たり前の日常。ああ無情。

 

そんな空気感が出てしまう背景には、僕らが生まれて何年経ったというカウントを事あるごとにしてしまうのがあるように思う。人生五十年の織田信長と比べても、僕ら世代の平均寿命は倍近くになった。にもかかわらず生まれてから◯年経ったという基準で物事を考えがちなのは、いつ死ぬのかがわからないのに対して、いつ生まれたのかが明確なのが原因なのだろう。根拠はないけど。 

 

スタート地点からの距離で測るから同世代のすごい人に嫉妬してしまうかもしれないけど、みんなの走れる時間が同じだとは限らない。美人は決まって薄命だ。諦めずに走り続けてたら、いつか追いついて並ぶことができるかもしれない。とはいえ余命を宣告されていないし、いつ死ぬのかがわからない中で終わりを意識するのはとても困難。

 

なんて事にちょっとでも共感を覚えてくれたあなたのために、僕はBUMP OF CHICKENの話をしたい。突然BUMPが出てきたが、冒頭の「4月になると以下省略」からBUMPについて書くことを決めていたので何卒お付き合いいただきたい。

 

 BUMPの曲におけるゼロの意味

 

数えた足跡など気づけば数字でしかない

知らなきゃいけないことはどうやら1と0の間

『カルマ』

 

歌詞を初めて読んだ時、ここでいう0は一歩を踏み出していない状態を指していると思っていた。数えた足跡は何をしてきたかどうかという、いわばキャリア(歴史)。それをどれだけ積んでいるかは重要じゃなくて、大切なのは始めるかどうか。僕らが知らなきゃいけないのは挑戦すること、だと解釈していた。

 

何かを始める時に自分よりも先に走って足跡を残している人を見ると、今からではもう追いつけないと萎縮してしまう。でもそこで諦めることなく挑戦することでゼロをイチにしていくことが生きていく上で大切。ホリエモンの本に書いてそうなメッセージをこの曲から受け取っていた。

 

がしかし、この考え方はのちに発表された2曲によって180度変わった。

 

終わりまであなたといたい

それ以外確かな想いがない

『ゼロ』

  

約束が欲しかったんだ希望の約束が

そのためならすべてをかけられるような

『ラストワン』

 

そのまんまタイトルにも使われているので、想像も妄想も必要ない。BUMPにとってのゼロは終わりだった。そして1は最初の一歩ではなく最後の1(ラストワン)だった。 歌詞をそのまま読むとラストワンはすべてをかけられるような約束を意味している。ゼロ発表時点での藤原基央が考えるラストワンは終わりまであなたといることだったんだろう。今はどうかわからない。

 

ということを踏まえて、再度カルマの歌詞をなぞってみてほしい。これまで何をしてきたかはただの数字で、重要じゃない。僕らが知らなきゃいけないのは人生のすべてをかけられるような約束をする時とその約束が実現した時の間にある。つまり、これだという約束(実現したら死んでもいいレベル)を実行するのが大切だということ。という解釈ができないだろうか。

 

ゼロ地点(スタート)から数字を積み重ねていくのではなく、あくまでも自分のゼロ(終わり)に向かってカウントダウンをしていく。そこには他者への嫉妬も、出遅れたことによる諦めもない。

 

とはいえいつゼロになるかわからない

人は年を取る度 終わりに近付いていく

動いていない様に見えても 確かに進んでいる

銀河鉄道

 

藤原基央ほど終わりを意識している音楽家はいないと思う。

 

いつ終わるのかはわからないかもしれないが、見方を変えればいつかはわからないが終わりがあるし、その終わりに近付いていくのは間違いない事実。不確実性の中にある確実を綺麗にすくい取っている美しい歌詞にうっとりする。

 

うっとりするだけじゃなくて、実際に僕らが意識するのも「いつかは終わりが来ること」と「それに日々近付いている」というところまででいい。あとはその終わりに向けてのラストワンとも言える約束を見つけることができたらもう最高

 

いつ終わりが来るのかわからない以上、いつ始めても手遅れなんてことはない。「落ち着け空気感」に流されずに、自分のゴールを見据えながらどんどん新しいことにしていきたい。そしていつか来るだろう終わりを迎えられたらいいなって思う。

地方出身者は働く場所をどう選ぶ?

帰阪に合わせて、京都北野白梅町にある猿基地に行ってきた。

 

そろそろっと入店してビールを頼んでカウンター席に座ってボートレースの予想をする。定番の流れ。10年前はビール飲んでなかったし、ボートレース予想もやってなかった。10年の間に着実におじさん化しているみたい。切ない。


このお店には就活生がよくやってくる。この日はたまたま九州出身の学生が来ていた。自身がおじさんであることを自覚してて、また知らないおじさんからいきなり声をかけられるのは怖いことも自覚しているので積極的に声はかけない。けど同郷ということもあり、二言三言会話した。で、聞くところによると地元で就職したいらしく翌日から就活で九州に行くとのことだった。いきたい会社も「九州の会社」が軸の一つになってるとのことで、話を聞けば聞くほど当時の自分が頭の中にフラッシュバックしていた。


初めて外から地元を意識した日

就職活動の時、九州(地元)の会社でフィルターをかけて説明会に行っていたタイミングが僕にもあった。J◯九州とか◯鉄とか九州メインの会社はもちろん、九州に支社がある会社は半自動的にお気に入りに放り込んでいた。地元を離れて生活して、初めて外から客観的に自分の生まれた田舎を意識したのがその瞬間だったし、なんでまたこんな辺鄙なところに生まれたんだろうかと悩ましい気持ちになってノートに汚い文字で色々と書きなぐった日もあった。

 

「働く地域」を決めないといけないのは地方出身の就活生共通の悩みだし、都会出身者のそれとは重みが違う。ただでさえ、職種、業種と選択しないといけないことがたくさんある中でプラスαで地域を選ぶのはそこそこの負担だった。これは自分の経験によるものなのでどこまで一般的かわからないけど、地方出身学生が地元就職を考える理由はおおよそ下記にあると思う。

 

地方出身学生が地元を選ぶ理由

①実家があるから(近いから)

②地元に友人知人がいるから

③いずれ帰る可能性があるから

 

①が一番大きい。実家から近ければ近いほど帰省が楽だし、実家から通えばそもそも帰省を考える必要もない。また両親はじめ家族はどんどん年をとるので、将来的に何かあった時近くにいた方が良さそうな気もする。②は地方出身者にとっての都会は東京でないことが多く(九州出身者にとっての福岡)、その地方に止まってしまう人がたくさんいる。そういう人たちが近くにいると楽しいし、ルーツも一緒なので安心する。③はいずれ帰るならその時転職のストレスも味わいたくないし、最初から地元近くで探したい、そんなところだろう。少なくとも僕はそんなところだった。

 

当時の僕は「将来地元に戻りたくなったらその時考える」と折り合いをつけて、働く地域の優先度を下げた。それよりも譲れないものはあったし、何より面白いところで働きたかった。そしてその結果大阪で勤務することになった。履歴書には「将来的には九州を良くしたい」と書いてたし、面接でも似たようなことを言っていたのに採用してもらえてよかった。

 

そしてついこの間九州に帰ってきた。

 

選ぶなら面白い方を

大阪で働いている間、ずっと九州に帰ることを考えていたかといえばそうでもない。頭の片隅にうっすらとはあったが、関西に骨を埋めることを考えたこともあれば東京に出ることを意識した時もあった。そのときに将来的に九州を良くしたいと書いた当時の履歴書見せられてたら憤死していただろう。

 

このタイミングを選んだのも、今九州に帰った方が面白いことができそうだと思ったからで。誰かから言われたわけでも最初からここって決めてたわけでもない。とはいえ数々の決め事をするときに迷ったらどっちが面白いかを判断基準にしてきたのは、これまで一貫している。

 

個人的に当時悩んだ上記の①〜③について実際に一定期間地元を離れて働いてみて思ったことを参考までに書いておく。①②の家族や地元の友人は普段はSNSでやり取りし、盆暮れに顔を見るくらいで全く不便なかったし、③は極端な話戻ろうと思えばいつでも戻れる。なんであんなに悩んでたのかわからなくなるくらい、何の問題もなかった。逆に地元で働いていなかったからこそ、社内外あわせてたくさんの人と関わることができた。その中のたくさんの人が今こうやって九州に戻ってきてからもつながっているし、関西に行けば顔を見たり話をしたりする。たまたま自分は関西だったけど、東京でも他の地域でもきっと同じ結果になっただろう。

 

就職活動に限った話じゃないけど、何かを選ぶときに仕方なくとか止むを得ずとかで判断してしまうと、その分満足度は下がってしまう。とはいえ生きていたら仕方ない状況も止むを得ない場合もあるので、できることは普段からいざという時になるべくそういう状況を回避できるように準備をしておくこと。そして選ぶタイミングになったら迷わずポジティプな判断基準で選択できるようにすること。それを意識するだけでも悩みはきっと軽くなるはずだ。

 

事情や環境には個人差があるし一概にこうとは言えないし、自分が正解だとも思わない。けど、地元でも都会でも会社は前向きな理由で選べるようになってほしい。

 

あとは九州を良くしたいと言った手前、九州を前向きに選択する理由の一つをこれからつくれたらいいなと改めて考えてたら終電をなくして京都の街を雨の中スーツケースひきずってうろついた話。

いわゆるセレンディピティ的なそれについて

田舎で悶々と考え事をしていると、答えが見つからず泥沼に突っ込んでしまうことが時折ある。都会でもあるのかもしれないが、個人的には田舎の方がそうなる確率が高い。暇だからだろう。ノイズが少ないからだろう。

 

その日も泥沼の中でコミュニティとはなんぞやという答えのない問いと向き合っていた。あまりにも悶々とした瞬間、ある人(以下Mさん)に連絡を入れていた。以下連絡内容より抜粋。

 

「オープンなムラ(コミュニティ)を作りたいんですが、どんなコミュニティだったら入りたいですか?」

 

ちんぷんかんぷんここに極まれり!こんな鼻息高い連絡がいきなり届いたら普通ドン引き即ブロックものだろうが、Mさんはちゃんと相手をしてくれた。それどころかちょうど自身もコミュニティを作ろうとしているところらしかった。LINE上でのやり取りでは全貌を知ることができなかったので、この間帰阪のタイミングに合わせてお時間を頂戴してきた。クソみたいなLINEを送ったにもかかわらず、わざわざお時間作ってもらえてありがたい。

 

時間が限られているということもあり、乾杯して早々に「どんなコミュニティを作るんですか?」と尋ねた。いつもなら本題に入る前にまどろっこしい前置き(天気の話とか)を重ねて結局聞きたいこと聞く前に時間切れになるような性格なので、我ながら思い切ったし、そのくらい切羽詰っていた。

 

コミュニティをつくろうと思ったきっかけ

そもそもすべての出来事は偶然(たまたま)の連続でできている。その偶然を作り出す機会が周りにたくさんあるとおもろい、というのがコミュニティつくろうと思うに至ったきっかけだと言う。「おもろい」というのが関西的で実に素敵。

 

今の自分があるのはたくさんの偶然が生み出した結果以外の何でもない。もっと言うと自分の両親、先祖代々の偶然が積み重なった結果出来上がっている。その一つ一つが意図的であれ無意識であれ、数ある選択肢の中から選ばれた方向に自分が作り上げられている。その中で同じ時間同じ場所にいることは相当に低い確率だし、偶然いたからといって交わるとも限らない。たいていの人とはすれ違うだけで終わってしまう。状況やその時の心境も含め、色々な偶然が重なって話をして、その時やっとつながりが生まれる。そんなことを話していた。

 

初対面の人と接触するのには相当なエネルギーを要する。ましてや初対面の人が多い空間に行くのは相当気合を入れててもやっぱり怖い。勢いで予約はしたものの当日やっぱりやめようかと直前まで会場付近をウロウロするのなんてざらにある。その集団が恐ろしい(なんてことはないんだろうけど)ところだったらどうしようと変にリスクヘッジをしてしまう。でもえいや!っと飛び込んでみたら楽しい偶然に出くわすことが多い。不思議なもんだけど、だいたい今の所そんな感じだ。マラソン大会当日の朝まで学校休みたくてたまらないのに、走り終わってしまえば爽快な気持ちになる感覚に似ている。

 

そういうたまたまに出会えるチャンスを増やすための場所としてコミュニティが必要だというのがMさんの話だった(と勝手に解釈している)。

 

日本酒もすすみ話も弾んできたので、もう少し踏み込んでコミュニティのことを話してきた。対話は悶々としないから良い。そんな話を踏まえて改めて感じたことを、日本酒で流れてない限り備忘録として残しておこうと思う。思うにコミュニティを保つに大事なことは以下の二つにあるような気がする。

 

①拠点を構えること

②各拠点を繋ぐこと

 

他にもあると思うが、日本酒で記憶が流れた。日本酒はおいしい。

 

拠点を構えること

コミュニティを運用していく上でどこかに拠点を構えることが必要で、実際にMさんはいくつかの地域を絞っているようだった。自分が構想しているエリアと重なってなくてなによりだった。古民家のリノベーションや過去イベントで使った町屋スペースが候補に挙がっているとのことだったが、関西も都市部が点々としてるからエリア選定が難しそう。

 

実際に集まる機会があるときに、貸会議室やレンタルスペースを借りてやるのもいいかと思うが何となく味気ない。それだとコミュニティというよりイベントに近い。そこから一歩踏み込んで、常に何かが動いている状態にするにはやっぱり集まる場所は欠かせない。オンライン上のグループでも事足りるかもしれないが、まだ今の所は直接オフライン上のどこかに集まる方が参加者の熱量を高く保てる気がする。

 

イメージは「この指とまれ」に近いが、まずは旗を立てることが大事。

 

各拠点をつなぐこと

拠点を構えることは大事。とはいっても一旦構えてしまうとなかなか動くことができなくなる。そこの中だけで偶然を生み出し続けるのはなかなかどうして難しい。諸行無常の世の中、代謝は必ず起こりうる。そしてその大半は世代交代によるものだと思う。そこに地域の代謝を加えられたらより面白い偶然が生み出せるのでは、と朧げに考えている。

 

アーカイブ作成

ついこの間、コミュニティ・アーカイブに関する本を見つけた。その本は3.11の震災に関するアーカイブを市民交えて作った団体の活動記録に関するものだったが、手法は他のコミュニティにも応用ができそうだ。何をどう残すかはまだまだ考える必要があるが、そもそもの一緒に何かを残す(≒つくる)行為が拠点参加者のモチベーションになりうるし、各拠点のアーカイブを覗くことで他拠点に赴くハードルも下がるはず。

 

・コミュニティ内独自通貨(ポイント)

アーカイブと紐付けて、できたら面白そうだなと思うのが独自通貨の作成。そのコミュニティ内のみで利用可能な仮想通貨を作ってしまいたい。コミュニティ内で獲得することが可能で、獲得した通貨で実際に各拠点の飲食代金だったりイベント参加費用だったりを支払うことができる。(定価より多少安く購入出来る)

 

仮想通貨を得る手段は主にアーカイブへの発信。面白い発信をすることによって、閲覧者からのポイント(いいねやはてなスターみたいなもの)を獲得。そのポイントを通過に交換することができる仕組みだ。付与するためのポイントをどうやって獲得するかはMさんとの話の中では出てきたが、今はまだそこだけに留めておく。とはいえアウトプットをしていて嬉しいのはやっぱり目に見える反応があること。その反応が通過になり、それでイベントに参加できてまたアウトプットができる。そういうサイクルができたら面白いと思う。

 

お金はあくまで信用の尺度でしかないし、1万円を1万円として使えるのはあくまでその共通認識を皆が持っているからだ。そうじゃなかったらただの紙切れでしかないし、もしかしたらただの紙切れになってしまう日も来るかもしれない。話がそれたが、要は共通認識を持てば紙切れも信用の尺度になるし、小さなコミュニティの中であればその共通認識を作り上げることは十分に可能だと考えている。とはいえそれも一つの拠点だけでやるとあまりにも小さすぎるので、各地で使えるような仕組みにしていけたら楽しそう。

 

まずは拠点をつくります

そんなこんなでMさんとの対話は終わった。つくるタイミングはもはや早いに越したことはない段階にきてると思うし、幸いつくれるタイミングでもあるので早くつくってしまいたい。のと同時に、Mさんのところ含め面白そうな各拠点を徐々に見つけていきたい。みたいなことは日本酒を飲んでも流れなかったので、やろうと思います。

思考vol.6 〜所有・ストレス〜

大阪を離れて1ヶ月程しか経ってなかったけど、所用で一昨日まで約10日間大阪に滞在していた。「今どこにいるの?」といろんな人から聞かれるけど、自分でも明日の今頃どこにいるのかわからない。ノマドライフを満喫してる。

 

そんなに間隔も空いてないからもはや久しぶり感もまったくなくて顔合わせる度に申し訳ない気持ちになったけど、それでも対面でのやり取りはSNSの500倍(※個人的見解です)捗った。今考えているコミュニティ云々のことや今後の自分の方向性について色んな人と話ができて本当に良かった。道中パソコン開くのが面倒だったこともあってインプット過多になってしまったので、体内で脂肪に変わる前に徐々に吐き出していきたい。

 

関西滞在中は何箇所かの拠点を転々としていた。ので、常にすべての荷物を持ち歩いていた。普段から持ち物はそう多くない方だと自負しているが、それでも10日分。あと結婚式もありスーツ類一式があったので、スーツケースとトートバッグ(に荷物が収まりきらず、途中でリュックを買った。このリュックとても良いのでまた紹介したい。)という重装備。リュックはまだ良い。スーツケースがとにかく厄介だった。

 

確かに重い荷物を転がして運べるのはとても楽かもしれない。けどとにかく邪魔。どこに行くにも邪魔。喫茶店に入ろうもんならその分のスペースを確保しないといけないし、イベントに参加しようと思ったらどこかのコインロッカーに預けないといけない。しかも都心部のコインロッカーは原則空いていない。空いてなくてもあればまだマシな方で、ちょっとマイナーな駅になるとコインロッカー自体設置されていない。自分の宿を探すよりもスーツケースを収めるコインロッカー探す方が難儀だった。手のかかる荷物。まさにお荷物。

 

1日目2日目はまだ良かったが、3日も一緒にいるともうスーツケースが鎖付きの鉄球に見えてくる。そのくらいに精神的負担が大きくなってきた。引きずりながら梅田や河原町の人混みをかき分けている時の心情はもう囚人のそれだ。解放されるためにはコインロッカーを見つけるしかないし、そこで小銭を払ってやっと釈放。それで晴れて一般人の仲間入りを果たすことができる。シャバに出られるなら出費も全然痒くない。そんな妄想も影響したのか。振り返るとずいぶんとコインロッカーに課金したと思う。

 

今まで特に意識してこなかったが、改めて街を歩くと結構な数の人がスーツケースを転がしている。観光客はもちろん、サラリーマンもそう。みんな何食わぬ顔をしているが、内心はみんな囚人のそれになっているかもしれない。今度からそういう人を見かけたらできるだけやさしくしようと心に誓った。

 

荷物は軽いほうがいい

モノを持つことはそれだけでストレスを生み出す。今回それを身体的感覚として経験することができたのは良かった。登山家が山に持参する荷物を1gレベルでなるべく軽くするという話を聞いたことがある。彼ら彼女らにとっては多少高くても軽い製品の方が好まれるとのことで、正直今まで全く共感できなかったが今ならその気持ちもわかる。わざわざ山に登らなくてもわかることができたから怪我の功名。(こうしてまた一つ山に登る理由を失っていく)

 

行く前は使うだろうと思って詰め込んだものの、実際現地で使っていないものもたくさんある。kindle端末は1回も触っていない。久々の大型書店に浮かれてハードカバー本3冊買ってしまったのが原因で間違いないし、なんならこのせいで重量が相当増した。でもこれに関しては全く後悔していない。服もコインランドリー等を駆使したらもう少し少なくてもいける。足りなかったらユニクロやコンビニで買い足せばいい。ユニクロもコンビニも田舎とは違って至る所にある。

 

なんてことを考えながら行き着いたのが、少し足りないくらいでちょうどいいという思考だった。本当に困った時は案外なんとかなるし、本当に困る状況なんてそうそう来ない。ついつい心配になってあれもこれも必要だと思ってしまうけど、本当にいる物って実はあんまり多くないのかもしれない。某曲にもあるが、出かけるのに必要なのは一切れのパンとナイフとランプで充分だ。ああでもやっぱりスマホは持っていきたい。ハードカバーの本は家に置いてて大丈夫。

 

ずっと同じところにいると気づかないけど、気づかないうちに所有することでのストレスが蓄積しているかもしれない。ものを持つと管理が必要だし、余計な手間や負担がかかってしまう。定期的に自分にとって必要なものを選別してみるのも悪くないような気がします。のためには引っ越しとか、旅行とかが有効なのかもしれませんね。

藤原基央の右ポケットには何があるか

日曜の晩にやってる関ジャムというテレビ番組が面白い。この番組の何がすごいって、30分ただじっと見てるだけでなんとなく名曲をつくれそうな夢を見ることができる。そのくらい各専門家さんの説明がわかりやすい。そのあとやってるやべっちFCを見終わる頃にはその夢からも覚めているが。(その代わりにリフティングとかめちゃくちゃできそうな夢を見ている。)

 

ちょっと前の放送で失恋ソング特集をやっていた。詳しい内容はやべっちFCのおかげで忘れてしまったが、最近巷には爆発的にヒットしている失恋ソングがないらしい。というのも、SNSが流行した結果失恋しても一人で音楽を聴きながらさめざめと泣き腫らすようなことがなくなったからだとのことだった。言われてみれば最近会いたくて震えるような曲を見かけない。西野カナも幸せそうだ。

 

その後番組では往年の失恋ヒットソングを紹介していた。西野カナが震えるよりもずいぶん昔の曲だけど、今でもサビは聞けばわかるから名曲はすごい。

 

さよならと言った君の気持ちはわからないけど

いつもよりながめがいい左に少しとまどってるよ

もし君に1つだけ強がりを言えるのなら

もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対

『もう恋なんてしない』槇原敬之

 

「いつもよりながめがいい左」という表現から、相手がいた日常とその相手の不在を連想させてしまう、描写に震える。売りことばに買いことばでつい「もう恋なんてしない」と口走ってしまうのが男性。そしてそれをのちのち後悔してしまうけど時既に遅いのも男性。本来男性とは女々しい生き物。女々しくてつらい生き物だということを端的に伝え、しかもそれを曲タイトルとサビのフレーズを持ってくる。女々しさの化け物としか言いようがない。僕が女性だったらおつきあいお断りしたいタイプで間違いない。

 

他に紹介されたのが、プリンセスプリンセスのMだった気がする。これまた名曲。「いつも一緒にいたかった」というTHE失恋!なワードから入るこの曲も時代を超えて度々耳にする。

 

あなたのいない右側に

少しは慣れたつもりでいたのに

どうしてこんなに涙が出るの

もう叶わない想いなら

あなたを忘れる勇気だけ 欲しいよ

『M』プリンセスプリンセス

 

お気づきだろうか?どちらの曲も男性が右側にいる。奇しくも男が右、女が左の構図になっている。これはもう世間一般の常識がそうか、あるいはこの人たちが付き合ってたかのどちらかでしかない。おそらくというかいうまでもなく前者だと思うので、少しばかり調べてみた。調べてみたなんて大層な言葉使ってるが、googleで「男 右側」と検索したらあれよあれよと出てきた。なんならNAVERにもまとめられてた。

 

男は右側を好む?「立ち位置」でわかる心理 - NAVER まとめ

 

左を制して男性を制す!男性の左側にいるのが良い理由とは? - NAVER まとめ

 

女性目線でもまとめられていたが、リバウンドを制するものが試合を制すという某漫画に出てくる名ゼリフによく似ている。これを言っている女子はきっと常に鼻息が荒い。周りからはそのリーダーシップや真面目な性格からか、キャプテンかあるいはゴリと呼ばれている。リバウンドをとるときはおそらく「フンッ」と言う。その風貌からは想像できないが、妹思いの優しい子だろう。得意技はゴリラダンク。そんな乙女にとって、左側はもはや男性から与えられるポジションではない。自ら奪いにいく。スクリーンアウトは怠らない。

 

ゴリラの妄想が一通り落ち着くと同時に、ある疑問が浮かんだ。

 

藤原基央、逆じゃない?」

 

右ポケットお招き問題

冬が寒くって本当に良かった

君の冷えた左手を僕の右ポケットにお招きするための

この上ないほどの理由になるから

スノースマイル

 

容易に想像できると思うが、君の左手を右ポケットに入れるためには、自ずと相手(女性)を右側に立たせる必要がある。そんなことありません、左側に立たせて右ポケットに左手をお招きする方法はあります!というひねくれた人もいるかもしれない。そしてできなくもないかもしれない。ただその状態で街中歩いてみてほしい。まちがいなく白い目で見られる。悪いことは言わない、相手を右側に立たせてほしい。

 

藤原基央の右ポケットはフェミニズムの塊

二人で歩くには少しコツがいる 君の歩幅は狭い

できるだけ時間をかけて景色を見ておくよ

振り返る君のいる景色を

スノースマイル』 

 

藤原基央にとって歩幅とはあくまで相手に「合わせる」ものであり、もっというとわざと時間をかけて少し後ろ側を歩いている。黙って俺についてこいの対極、優しすぎる。

景色を見るなんてのは照れ隠しの名目。振り返る君しか見ていないし、そこには何の駆け引きも打算もない。ないからこそ藤原基央は立ち位置にこだわらないのだろう。男の自分でもわかる、理想の男性像ここにあり。

 

藤原基央は語らない

君と出会えて本当に良かった 同じ季節が巡る

僕の右ポケットにしまってた思い出は やっぱりしまって歩くよ

君のいない道を

スノースマイル

 

そんな藤原基央でも誰かと別れることはある。ただし彼は別れてもきっと強がりなんて言わないはずだ。思い出はしまったままにしておくし、場違いに披露なんてしないだろう。「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」なんてことは言わないよ絶対。そんな女々しさのかけらもないところに同じ男性として痺れるし憧れる。

 

とはいえ曲を聴いてもらえばわかるが、歌詞にはないところで「君のいない道を」というフレーズを繰り返し繰り返し歌っているから、ちょっとは未練もあるんだろう。特に最後の方、「道を、道を」と延々繰り返している。前言撤回、直接的に口にしはしないもののやっぱり女々しさを滲ませている。きっと気持ちが落ち着くまでずっと君のいない道を歩いてる。その不器用さに親近感がわく。(結局どっちでも好き) 

 

終わります

立ち位置に意識して音楽を聴くことはないし、他にもそういう曲があったら比較してみるのも面白そう。自分の日常でも別にどっちに立つかとかはわりと無意識だけど、意識してみたらいろんな駆け引きが垣間見えるかもしれない。

 

気づいた時にはゴリにリバウンドポジション取られてるかもしれませんよ?

思考vol.5 〜温度感〜

九州に戻ってきてから友人と話す機会がめっきり減った。電話はかけるのもかけられるのも得意な方じゃないので、やり取りはもっぱらLINEのみ。久しく声を聞いていない。

 

その代わりと言ってはなんだが、世間一般的にインフルエンサーと呼ばれる人たちや世間一般の人たちの記事を眺めたり読んだりする機会が増えた。国民総発信時代、とは言わないまでもかなりの数発信がある。探さなくても面白いメディアは続々と出てくる。どこにいても世界は回っていることを感じられる良い時代。

 

突拍子もなく持論をぶち込むが、何かを発信している人は総じて熱い。いやいやそんなことないですよという人もいるとは思うが、熱量がないとこんな大変かつ面倒なことを続けるのはむずかしい。同じ時間でhuluでひたすらネットドラマ視聴していても良いのに、発信に割いている。それだけでもう無条件に好きになる。そしてそういう人たちと自分をどうしても比べてしまう。そんなことをしても意味がないのは重々承知しているが、それでも比較してしまう。不器用ですから。

 

温度感の話

僕は色々な物事の温度感を大切にしている。中でも自分の温度はぬるいくらいの状態を常に保つように意識している。熱すぎず、冷たすぎずの適温。のぼせないし、風邪もひかない、ちょうど良い水温のお風呂をイメージ。もしくは猫舌の人がフーフーせずに飲めるくらいのホットコーヒーをイメージしてほしい。書いといてなんだが、後者はちょっと違うかもしれない。

 

話を戻すが、世間にうようよいる熱い人たちと己を比較する機会が増えたからか、最近自分が適温だと感じていたポイントがぬるすぎる、むしろ冷たいような気持ちでいっぱいになっている。要因はいろいろ考えられるが、ここ最近で住環境、関わる人達、発信方法なんかが一気に変化したことが大きく関与している気がする。

コミュニケーションにおける発信(アウトプット)は放熱のための行為。話すことによって熱を発散し、逆に聞くこと(あるいは見ること)によって熱を蓄える。そういういわゆる熱量のやり取りの中で、今は圧倒的にアウトプットが足りていない。だからこんなクソみたいな文章をひたすら描いて熱を逃がしている。

 

身体的恒温と精神的変温

人類が恒温動物だというのは今更どうこう言う必要のない事実だ。よほどのことがない限り、地球上のどこで暮らしても僕らの平熱は36度前後に保たれている。その範囲を出てしまうと体調を崩してしまう脆い生き物、それが人間。

とはいえここまで書いてきたような精神的な熱量や温度感の話になると、僕らの平熱は状況や環境、接する人によって簡単に変わってしまう。最初は「あれ?熱出たかな」とか、「おや、肌寒いな」とか違和感を感じるけど、そのうちその温度に慣れてしまう。精神的には変温動物だと考えることができそうだ。何かを続ける熱量を保つのが難しいのもこういう切り口で考えると、何か見えてくるかもしれない。

 

放熱したので終わります

対面でのコミュニケーションがもっとも熱交換に適している手段。これは言わずもがなで、ネットを介したやり取りではある程度補完することはできても、勝ることは今の所できない。とはいえとても便利な時代で、ネット上でインプットもアウトプットも簡単にできる。温めようと思えば世界中の人たちがこれでもかという程温めてくれるし、ネット世界には地域的な差もない。集中力が切れてなんの話だかわからなくなってきたので、簡単に整理する。

  • 自身の精神的な適温はいる環境によって変わる
  • ネット上の環境はどこにいても自身で変えられる
  • インプットで熱を蓄え、アウトプットで放熱する

 

また、精神的には変温動物だと言ったが、その適温はなるべく一定の幅におさめておきたい。恒温になることはなくても、それに近い状態を保つことが安定に繋がるような気がする。そんな気がするのはきっと恒温動物だからなんだろうな。

世界の片隅でBUMPのBメロへの愛を叫ぶ

人がBメロについて持つ印象は何だろう。

 

冒頭からごめんなさい。でも続けさせてください。

 

Bメロ、多くの人はそもそも印象を持つことすらないでしょう。こんなこと言ったら元も子もないが、そんなことする暇あったら晩御飯の献立でも考えた方が有意義だし、英単語の一つでも覚えた方がいい。だがしかし僕には晩御飯の献立を考える義務もなければ、英単語を披露する場面もない。とすれば、そこにあるのは圧倒的自由時間。ついBメロのことで頭がいっぱいになってしまう。

 

弁護する訳じゃないが、Bメロは不遇の存在。ミュージックステーションではまずカットされるし、カラオケメドレーでは歌われてもサビのおこぼれ。強いてあげればそんなところだろう。あくまでサビへの導入、「ううぃーーーん」とシンセの音が上がっていってドラムのビートが速くなってくるのがBメロだと岡崎体育もExplainしている。

 

しかしBUMPの楽曲におけるBメロの立ち位置はちょっと違う。ということを今からひたすら書いていきたい。タイトルでお察しの方もいるかもしれないが、BUMP OF CHICKENのことを考え出すと僕の情緒はちょっとだけ不安定になる。

 

テイルズオブジアビスというゲームの主題歌にBUMPの曲が使われていた。2005年、もう13年も前の事。当時初めてCMで15秒尺のワンフレーズを聴いた時の衝撃は忘れられない。そのあと1曲フルで聴いた時にそのCMで使われていたフレーズがサビではなくてBメロだったことにさらなる衝撃を覚えた。

汚さずに保ってきた 手でも汚れて見えた

記憶を疑う前に 記憶に疑われてる

『カルマ』

これがCMで流れた箇所の歌詞。何度も言うが、これはBメロ。なのになにこのサビか2番のAメロ、あるいはラストサビ前のCメロに与えられるべきメッセージ性。すごい。

 

また、文字でメロディを伝えられないのがもどかしいが、その部分だけを切り取って聴かされたらサビだと勘違いするくらいカッコイイ。カッコイイという陳腐な表現しか出てこずもどかしさは募るばかりだが、とにかくカッコイイ。完全に一目惚れ。思えばその頃から僕のBメロに対する偏執的な片想いは始まっていたのかもしれない。

 

『涙のふるさと』という曲はロッテのエアーズというお菓子のCMに使われていた。堀北真希が抜群に可愛かったのと、サビの途中でCMが終わったのと、堀北真希が抜群に可愛かったのが印象的だった。CM監督だった山崎貴氏が初めてこの曲を聴いた時に、Bメロを使うことを決めたというインタビュー記事を以前どこかで読んだことがある。ということは僕のBメロ愛に火をつけたのは山崎監督、ということになる。

 

最近まで流れていたGlaraxyのCMには『リボン』という曲が使用されていた。CMも何パターンか放送されたが、最初の方では間奏とハミングだけが流れていた。初めてCMを見たときにはまだ楽曲を聴いていなかったので、誰の曲か分からなかった。

がCMの終盤に耳に覚えのある声で「hu~」というハミングが聴こえた時、脳内の藤原基央センサーが激しく鳴り響いた。「なぜこの部分を!」という大きな疑問と、一瞬のハミングだけで藤原基央だとわかった自分にちょっとだけ引いた。そしてここまで書いて気づいた、愛しみが深すぎてもはやBメロからも脱線している。

 

愛がとどまるところをしらないので、Bメロに破壊力を持つBUMPの曲を個人的に5つ選んでみた。

嗜好が存分に影響を与えているので、異論は全面的に認めます。

 

1 カルマ

数えた足跡など気づけば数字でしかない

知らなきゃいけないことは どうやら1と0の間

冒頭で1番Bメロを紹介したが、これは2番のBメロ。皮肉本質が見事に表現されている二行詩。もう達観というか解脱というか、思わず手を合わせて崇めたくなる。それと同時に毎日いいね!の有無で一喜一憂しているのが恥ずかしくて消えたくなる

 

2 stage of ground

すれ違う 誰かが 落としていった

涙を数える その度に

「優しくなりたい」と願う

君は 誰よりも

優しい人 ルララ

またまた2番Bメロ。ルララといえばスピッツを思い浮かべる人が圧倒的に多いと思うが、僕はBUMPのこの曲を推したい。ちなみにルララの後にルラがつくとラフメイカーという別の曲になる。己の無力感に打ちひしがられた時に思い出したい一節。

 

3 HAPPY

優しい言葉の雨に濡れて 傷は洗ったって傷のまま

感じる事を諦めるのが これほど難しいことだとは

 ここでいう傷は治癒能力によって改善するような生易しいものではない。覚えている限りずっと痛いし、なんなら忘れてもなんか痛い。BUMPの曲にはそういう傷が度々出てくる。そして聴いている僕らに痛みの共感を巻き起こす。BUMPのことが好きだと言ってる人はどこかしらに何かしらの傷を抱えてる場合が多い。(個人差はあります)

4 good friends

大人なら触らずに いたずらに傷付けずに

だけど自分が無いから 誰かが気になっちゃって仕方ない

SNS社会の今、目を覆いたくなる人も多いんじゃなかろうか。なかろうかなんて言ってる僕がまずそう。一行目で猛省し、二行目で共感。誰かのことは気になるなんて生易しいものではなく気になっちゃって仕方ないのである。「沈黙は金」という名言があるが、この一節の方が自戒の言葉としてはしっくりくる。

 

5 花の名

生きる力を借りたから 生きている内に返さなきゃ

 人間の本質。僕らが生きている理由はまさにここにあると思う。貰ったからあげるのではなく、借りたから返すとしているのがまた良い。この曲は山崎貴監督がメガホンを取った、映画Always続・三丁目の夕日の主題歌でもある。ゆったりとした藤原基夫の歌いぶりが涙を誘う映画のエンドロール、歌詞の出し方に山崎監督の愛を感じる。映画本編を観てなくても泣けるエンドロール賞があれば、確実にノミネートされてくる

 

満足しました

壮大な自己満足にここまでおつきあいいただき心からお礼申し上げます。

もうすぐ終わりますので、ご安心ください。

 

Bメロ、野球の打順に喩えるなら2番打者。俗に言う繋ぎのポジションで、得意技はもちろんバント。目立った活躍をするわけじゃないが、確実に仕事をし流れをつくる大事な役割をこなしている。BUMPの楽曲は2番打者にもホームランバッターを据える、いわば超重量打線なのである。

 

なぜ野球に喩えたのか自分でもさっぱりわからないが、野球に喩えた瞬間から僕は対戦相手のピッチャーになっている。想像するまでもなく、こんな打線相手じゃひとたまりもない。メッタ打ちの大炎上。これでBUMPが好きだというから我ながらもうドMの極地としか言いようがない。でも良い、それで良い。そのくらい藤原基央は僕にとって圧倒的で、神よりも神に近い存在だ。藤原基央が教祖だったら間違いなくその宗教に入信していたし、藤原基央が持ってきた壺はもしかしたら買ってしまうかもしれない。藤原基央が教祖じゃなくて良かったし、壺を売ってなくて本当に良かった。

 

神は細部に宿るという。

もしかしたら神様はBメロにいるのかもしれません。現場からは以上です。