眼鏡概念

適温探し

毒にも薬にもならない話

思考vol.3 〜時間泥棒〜

kindleを買った。

 

「読書は紙派!」というわけでもなかったが、田舎に移って近くに大きな書店がないのがここまでストレスになるとは思わなかった。あとkindle端末での読書が全くストレスにならないということも知った。

 

本屋で欲しい本を見つけたらその場で電子書籍化してるかを調べて、あればそっちを買うということを一時期やっていた。紙本が増えて部屋を圧迫するのを抑える目的だったが、そうやって買った本は結局ほとんど読んでない。しかも視界に入らないから買ったそばから忘れていく。本末転倒。本だけに。なんてことはさておき、もういつ買ったのかも記憶にない堀江貴文氏の「多動力」を読んでいた。覚えていないが、とはいえ購入したのは自分。嗜好に沿った本がライブラリに入っている。

 

多動力 (NewsPicks Book)

多動力 (NewsPicks Book)

 

 

この本を読んだ人ならわかると思うが、各テーマの終わりにやってみよう!というリストが書いてある。別にそれを読んで今これをやってみているわけでもないけれど、その中の一つがとてもひどく刺さったので誰にというわけではないが紹介したい。

 

□あなたが生み出しているサービスやプロダクトは「人の時間」をどれだけ奪うだろうか? 

『多動力』堀江貴文

 

現代人は無駄を嫌う

このやってみようが挙げられている項のタイトルは君の名は。』がヒットした理由。書評じゃないので詳細は割愛するが、その根底には現代人は無駄な時間が我慢できないことを挙げている。効率化だとか生産性だとかそこらじゅうで言われる今。自分の時間についての意識はとても高くなっているように感じる。僕だってそうだ。1日24時間の限られた中でなるべく多くのことを吸収したいし、発散したい。なんて思いながらの日々の二度寝がやめられないから我ながら本当に不可解なのだが、まぁそれも愛嬌。とはいえそうやって吐き出されたアウトプットが、どれだけ他人の時間を奪っているかについて、どのくらいの人が意識しているだろうか。

 

自分だけじゃなくて、目の前にいる誰かの1日も当然24時間しかない。そして自分の吐き出したものは、読まれた時点で少なからずその人の時間を奪っている。当たり前のことかもしれないが、そんな当たり前のことすら意識していないアウトプットはこの世の中に溢れかえっている。このブログがその典型だ。ここまで読んでもらえたことに申し訳なさしかない。申し訳なさしかないがこの後も引き続きおつきあいいただきたい。

 

奪われてもいるし、奪ってもいる

これは個人的な見解というかもはや偏見だが、〇〇のために書きました!というのが見え透いている文章はなんだか面白くない。いやマーケティングにおいてターゲットを明確にするのはものすごく重要な事だし、実際ターゲットがしっかりしている人の発言は確かにブレてない。でもなんというか素地に幅がないのにブレてないからあっさりしすぎてて読み物として満足できないものが多いような気がする。売り上げやアクセス数を稼げたら良いのかもしれないが、それに偏りすぎているというか。とはいえ一方で読んでもらえないことにはそもそもアウトプットをする意味もないし、ちょうど良いバランスを保つのはとても難しい。理想だけで飯が食えたら誰も苦労をしない。少なくとも今の自分は誰かの時間を奪っているという感覚が激しく欠落している。

 

文章力だけで人の興味を惹くのは至難の技だ。できている人のブログを読むとなんとなく簡単そうに見える。でもそれはただその人が僕らにも伝わるような文章で書いてくれているだけで、実際に自分で書いてみるとまったくできない。できなさすぎて面白い。本当に面白い人は箸が転げただけでも面白いコンテンツを作るし、凡人は箸が転げたぐらいじゃそもそも記事を書こうとも思わないだろう。

 

時間やあれこれ思いを馳せていたら、ミヒャエル・エンデの「モモ」という本に出てくる時間泥棒のことを思い出した。時間泥棒は大人たちの時間を奪っていく存在で、奪われた大人たちはゆとりのある生活を失ってしまう。児童文学だけど、むしろ大人になってから読んだ方が響く作品で、この間も読み返して自分がいかに時間泥棒に時間を奪われて余裕をなくしていたかを思い知り、日々を省みた。でも被害者ヅラばかりしてもいられない。自分自身が現時点ですでに誰かの時間泥棒になっているということを、頭に入れて発信していかないといけない。というただの壮大な自戒をお送りしました

 

結び

まずはここまで読んでもらえたことに心からお礼を言いたい。そして自戒で締めたことに心からお詫びを言いたい。ありがとうとごめんねを繰り返し僕らは人恋しさを積み木みたいに乗せていく桜井和寿氏の言葉選びのセンスは恐ろしく素敵だ。

 

他人が発信しているコンテンツを見て、自分で調べるよりも簡単に物事が解決してしまうことがある。そういうときの時間は奪われたというよりむしろその人によって与えられている。別にそれは名著に限らず、ちょっとしたブログ記事を読んでなるほどと思った時点でそう。単純な時短だけじゃなくて、考え方とか雑談でも情報でも息抜きでも、少しでも自分のプラスになった時点で時間を奪われたとは思わないだろう。少なくとも僕は思わない。そしてその価値提供の繰り返しで書き手と読み手の信頼関係が生まれていく。少なくとも僕はそう思う。

 

散々書いてきてこんなまとめ方をするのもだが、これだけ情報の受発信が簡単になった時代、「奪う奪われる」の世界を知った上で、そこからどうやって離れていくかを考えないといけない。そうやって誰かと時間を共有することができたら、とても素敵だと思う。それも効率とか生産性とかじゃないところでそういう繋がりがつくれたら面白い。むずかしいけどおもしろい。

 

ということに気づけたのもきっとkindleを購入したおかげだろう。(宣伝下手)