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日本人が熱狂するクールな田舎は作れる?

九州に戻ってくる前に大阪の本屋で数冊本を買った。

 

その中の一冊。クールな田舎をつくるという高い志を持って故郷に戻ってきたわけじゃない。が、いざ戻ってくるとクールじゃない現状がバシバシ目に入る。

 

外国人が熱狂するクールな田舎の作り方 (新潮新書)

外国人が熱狂するクールな田舎の作り方 (新潮新書)

 

 

 

著者、山田拓氏はコンサルティング会社勤務の後、525日間の世界放浪を経て、岐阜県北部の飛騨古川という地域で株式会社「美ら地球」を興している。「なにげない里山の日常」を売りに、サイクリングなどのツアーにやってくる外国人観光客の数は毎年数千人に及ぶ。今日やたらめったら取り上げられているインバウンド向け事業の先駆け的存在。

 

重層的な人間関係

地方での人間関係は、都会よりも重層的です。役所の職員は、同時にご近所さんであり、青年会の会員であり、神社の氏子であったりする。何らかの課題があったとしても、そうした重層的な人間関係の中で、何となく問題が解決していくこともある。

(第二章「日本の田舎は世界に通じる」)

 

重層的という言葉は『都市と野生の思考』にも出てきた。山田氏は奈良県出身なので、自らの地元と異なる田舎を事業のフィールドに選んだ(というより知人の紹介によって結果的にそうなったみたい)。よそ者として田舎に入るということは簡単ではない。山田氏も「帰れ」と拒絶された状況から根気強く何度も通い、やっとそこでの生活を認められるようになった。そしてその地域で重層的な関係性を築きながら、下記のことを書いている。

 

小さなコミュニティにおいて、時には正しさや合理性より好き嫌いが意思決定を左右したり、自身の意思よりも地域の関係性が重要視されたりすることもあるといった、地方社会の現実を深く深く理解する機会となりました。

(第二章「日本の田舎は世界に通じる」)

 

これぞまさに地方社会の現実。親戚やご近所との付き合いを大事にしすぎるくらい大事にする。これは大事にしていないと井戸端で噂されるというネガティヴな側面も持っていて、よくも悪くも狭い環境の中で皆が繋がっている。

 

世界の田舎をクールに

 

現在の日本では、今の世代のことだけでなく数世代先までのことを考えなければ、「危機感」という概念を持ちにくい。

(第六章「日本と世界の田舎をクールに」)  

 

山田氏は「美ら地球」のミッションを下記の3つに大別している。 

 

1.「飛騨をクールに!」

2.「日本の田舎をクールに!」

3.「世界の田舎をクールに!」

 

飛騨をクールにの部分は本著にて事例が詳細に紹介されている。その上で日本の田舎をクールにする方法として、「インバウンド・ツーリズムを中心とした新たなツーリズムの創出に寄与するコンサルティング分野と、それらに従事する人材を育成する教育・研修分野(p165)」という二つの柱を立てている。そしてその視点は講演などによって海外へも広がりをみせているとのことだ。

 

地方出身者であればちょっと郊外に出て畑が広がっている風景を見ると懐かしさを感じてしまうように、田舎の原風景に大きな差はない。つまり田舎の風景や日常を売りにするツーリズムは理屈上他の田舎でも再現可能だ。もちろんそれは簡単な話じゃなくて、アクセス面や周辺の環境、その地域に古くからある慣習など特有の障壁もたくさんある。だからといってなにもせず放置していたらその地域に未来はない。

 

上記の引用にも出ているが、数世代先のことまで考えて物事を行うのは地方創生に限らず大事なことだ。大事なことだけど、なかなかそこまで考えが及ばない。及んで自分の子や孫の世代までじゃないだろうか。僕だってそう。みんなまずは自分のこと、そして次に身の周り、だと思う。その意識を変えるのはむずかしい。

 

結び

前回紹介した『都市と野生の思考』が対話によって様々な今日的テーマの風呂敷を広げていく本だとするなら、この本は実践によってそのテーマの中の一つでもある「地方創生」の風呂敷を畳んでいく本。おもろいことをやってみなはれという京大スピリッツを実際に行動に移した様子が記されている。

 

世界遺産や観光名所がなくても、何気ない日常を別の切り口で捉えることで特別な景色にすることができる。それは外国人観光客相手だけでなく、疲れた都市生活者にも魅力を感じさせることはできないだろうか。どうやったら魅力に思ってもらえるだろうか。

 

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