眼鏡概念

適温探し

毒にも薬にもならない話

世界の片隅でBUMPのBメロへの愛を叫ぶ

人がBメロについて持つ印象は何だろう。

 

冒頭からごめんなさい。でも続けさせてください。

 

Bメロ、多くの人はそもそも印象を持つことすらないでしょう。こんなこと言ったら元も子もないが、そんなことする暇あったら晩御飯の献立でも考えた方が有意義だし、英単語の一つでも覚えた方がいい。だがしかし僕には晩御飯の献立を考える義務もなければ、英単語を披露する場面もない。とすれば、そこにあるのは圧倒的自由時間。ついBメロのことで頭がいっぱいになってしまう。

 

弁護する訳じゃないが、Bメロは不遇の存在。ミュージックステーションではまずカットされるし、カラオケメドレーでは歌われてもサビのおこぼれ。強いてあげればそんなところだろう。あくまでサビへの導入、「ううぃーーーん」とシンセの音が上がっていってドラムのビートが速くなってくるのがBメロだと岡崎体育もExplainしている。

 

しかしBUMPの楽曲におけるBメロの立ち位置はちょっと違う。ということを今からひたすら書いていきたい。タイトルでお察しの方もいるかもしれないが、BUMP OF CHICKENのことを考え出すと僕の情緒はちょっとだけ不安定になる。

 

テイルズオブジアビスというゲームの主題歌にBUMPの曲が使われていた。2005年、もう13年も前の事。当時初めてCMで15秒尺のワンフレーズを聴いた時の衝撃は忘れられない。そのあと1曲フルで聴いた時にそのCMで使われていたフレーズがサビではなくてBメロだったことにさらなる衝撃を覚えた。

汚さずに保ってきた 手でも汚れて見えた

記憶を疑う前に 記憶に疑われてる

『カルマ』

これがCMで流れた箇所の歌詞。何度も言うが、これはBメロ。なのになにこのサビか2番のAメロ、あるいはラストサビ前のCメロに与えられるべきメッセージ性。すごい。

 

また、文字でメロディを伝えられないのがもどかしいが、その部分だけを切り取って聴かされたらサビだと勘違いするくらいカッコイイ。カッコイイという陳腐な表現しか出てこずもどかしさは募るばかりだが、とにかくカッコイイ。完全に一目惚れ。思えばその頃から僕のBメロに対する偏執的な片想いは始まっていたのかもしれない。

 

『涙のふるさと』という曲はロッテのエアーズというお菓子のCMに使われていた。堀北真希が抜群に可愛かったのと、サビの途中でCMが終わったのと、堀北真希が抜群に可愛かったのが印象的だった。CM監督だった山崎貴氏が初めてこの曲を聴いた時に、Bメロを使うことを決めたというインタビュー記事を以前どこかで読んだことがある。ということは僕のBメロ愛に火をつけたのは山崎監督、ということになる。

 

最近まで流れていたGlaraxyのCMには『リボン』という曲が使用されていた。CMも何パターンか放送されたが、最初の方では間奏とハミングだけが流れていた。初めてCMを見たときにはまだ楽曲を聴いていなかったので、誰の曲か分からなかった。

がCMの終盤に耳に覚えのある声で「hu~」というハミングが聴こえた時、脳内の藤原基央センサーが激しく鳴り響いた。「なぜこの部分を!」という大きな疑問と、一瞬のハミングだけで藤原基央だとわかった自分にちょっとだけ引いた。そしてここまで書いて気づいた、愛しみが深すぎてもはやBメロからも脱線している。

 

愛がとどまるところをしらないので、Bメロに破壊力を持つBUMPの曲を個人的に5つ選んでみた。

嗜好が存分に影響を与えているので、異論は全面的に認めます。

 

1 カルマ

数えた足跡など気づけば数字でしかない

知らなきゃいけないことは どうやら1と0の間

冒頭で1番Bメロを紹介したが、これは2番のBメロ。皮肉本質が見事に表現されている二行詩。もう達観というか解脱というか、思わず手を合わせて崇めたくなる。それと同時に毎日いいね!の有無で一喜一憂しているのが恥ずかしくて消えたくなる

 

2 stage of ground

すれ違う 誰かが 落としていった

涙を数える その度に

「優しくなりたい」と願う

君は 誰よりも

優しい人 ルララ

またまた2番Bメロ。ルララといえばスピッツを思い浮かべる人が圧倒的に多いと思うが、僕はBUMPのこの曲を推したい。ちなみにルララの後にルラがつくとラフメイカーという別の曲になる。己の無力感に打ちひしがられた時に思い出したい一節。

 

3 HAPPY

優しい言葉の雨に濡れて 傷は洗ったって傷のまま

感じる事を諦めるのが これほど難しいことだとは

 ここでいう傷は治癒能力によって改善するような生易しいものではない。覚えている限りずっと痛いし、なんなら忘れてもなんか痛い。BUMPの曲にはそういう傷が度々出てくる。そして聴いている僕らに痛みの共感を巻き起こす。BUMPのことが好きだと言ってる人はどこかしらに何かしらの傷を抱えてる場合が多い。(個人差はあります)

4 good friends

大人なら触らずに いたずらに傷付けずに

だけど自分が無いから 誰かが気になっちゃって仕方ない

SNS社会の今、目を覆いたくなる人も多いんじゃなかろうか。なかろうかなんて言ってる僕がまずそう。一行目で猛省し、二行目で共感。誰かのことは気になるなんて生易しいものではなく気になっちゃって仕方ないのである。「沈黙は金」という名言があるが、この一節の方が自戒の言葉としてはしっくりくる。

 

5 花の名

生きる力を借りたから 生きている内に返さなきゃ

 人間の本質。僕らが生きている理由はまさにここにあると思う。貰ったからあげるのではなく、借りたから返すとしているのがまた良い。この曲は山崎貴監督がメガホンを取った、映画Always続・三丁目の夕日の主題歌でもある。ゆったりとした藤原基夫の歌いぶりが涙を誘う映画のエンドロール、歌詞の出し方に山崎監督の愛を感じる。映画本編を観てなくても泣けるエンドロール賞があれば、確実にノミネートされてくる

 

満足しました

壮大な自己満足にここまでおつきあいいただき心からお礼申し上げます。

もうすぐ終わりますので、ご安心ください。

 

Bメロ、野球の打順に喩えるなら2番打者。俗に言う繋ぎのポジションで、得意技はもちろんバント。目立った活躍をするわけじゃないが、確実に仕事をし流れをつくる大事な役割をこなしている。BUMPの楽曲は2番打者にもホームランバッターを据える、いわば超重量打線なのである。

 

なぜ野球に喩えたのか自分でもさっぱりわからないが、野球に喩えた瞬間から僕は対戦相手のピッチャーになっている。想像するまでもなく、こんな打線相手じゃひとたまりもない。メッタ打ちの大炎上。これでBUMPが好きだというから我ながらもうドMの極地としか言いようがない。でも良い、それで良い。そのくらい藤原基央は僕にとって圧倒的で、神よりも神に近い存在だ。藤原基央が教祖だったら間違いなくその宗教に入信していたし、藤原基央が持ってきた壺はもしかしたら買ってしまうかもしれない。藤原基央が教祖じゃなくて良かったし、壺を売ってなくて本当に良かった。

 

神は細部に宿るという。

もしかしたら神様はBメロにいるのかもしれません。現場からは以上です。