眼鏡概念

適温探し

毒にも薬にもならない話

思考vol.4 〜つらみ〜

ブログ徘徊の中で、面白い記事を見つけた。

勝手に引用していいものかどうか迷った挙句、勢い余って勝手に引用。

ごぐたんさんごめんなさい。

 

goagle.hatenablog.com

 

グラフがゆるくていい。いい、ゆるいグラフ。

 

このグラフを眺めながら会社勤めしていた頃を思い出した。

 

入社して最初に配属されたのは毎日定時上りの部署だった。僕だけじゃなくて、そこにいた全員が決められた時間になったら帰るホワイトオブホワイトな職場。アフター5は自分の時間が約束されてプライベートも充実!まさに文句なしの環境だった。

そんな環境で日々平和に過ごしていたが、ある日どうしてもその日に提出しないといけない書類があり、残業をすることになった。といっても普段より2〜3時間仕事が終わるのが遅くなっただけなのに、その日のことは今でも覚えている。なんなら夜食買いに行った。そしてきっちり20時に帰った。今思えば大げさ極まりないが、その時は20時でも灰色になるくらいつらみのメリハリがついていたのだろう。お恥ずかしい。

 

その後異動にてホワイトオブホワイトな環境から一転、残業が当たり前な部署に配属になった。事前に外部からその部署のことを見ていたので覚悟はしていたつもりだったが、最初の数ヶ月は地獄の日々だった。そうはいっても22時前後には帰れてたので世間的に見ると軽めの地獄だが、こういうものは相対評価すべきじゃない。自分が辛けりゃ辛いでいいと思う。

 

そんな生活の中でも、たまに20時頃に帰れる日があった。まっすぐ帰るのがもったいない気持ちになり、ソワソワしながら誰かに声をかけてみたり、買い物に行ったり、家でDVDを見たりしていた。ホワイト部署にいた頃には絶対に感じなかったはずだが、その時の自分は20時から寝るまでの間には無限に時間があるように思えた。時間を大切に思うのは悪いことじゃないかもしれない。でもやっぱりそういう日が続くのは疲れた。

 

人間は慣れる生き物。つらい生活も毎日繰り返しているうちに体に馴染んでしまう。馴染んでしまうというか麻痺してしまうというか。そして一旦馴染んでしまうと自分にかかっている負荷になかなか気づけなくなる。そして知らず知らずのうちにつらみが蓄積されている。メリハリをなくすことはストレスを感じないために有効。間違いない。とはいえつらみを感じるセンサーは常日頃から鈍らせないようにしておかないと、あぶない気がする。

 

ごぐたんさんの言う通りつらみの総量は少ない方がいい。

残業はないに越したことはない。不労所得があればもう最高。