眼鏡概念

適温探し

毒にも薬にもならない話

人間という仕事について

日常非日常に関する取り留めのない記事を書きながら、いつものようにBUMP OF CHICKENの音楽を聴いていた。もう何度目かわからないユグドラシルブームがこのタイミングで襲来している。の中でも、4曲目に収録されているギルドの刺さり方が昨日ぐらいからえげつなくて、一回聞いては嗚咽。もう一回聞いては嗚咽。を繰り返しているから、全然BGMになってくれない。しまいには歌詞検索してじっくり読みだす始末。

 

人間という仕事を与えられてどれくらいだ

相応しいだけの給料貰った気は少しもしない

 

冒頭からいきなり脳天に直撃を喰らう。この時期の藤原基央の歌詞は割と自分とその他の人々が明確に切り分けられているような気がする。そして自分と他人がいたらそこには当然世界が生まれて、その世界の中では人間は仕事として捉えられている。人の目や他人の評価を気にしたりしだしたのがいつからかはわからないが、確かに自分もいつからか人間をこなしていた。仕事をすれば当然対価が発生する。その給料は必ずしも貨幣ではなくて、もっと漠然とした、例えば評価とか信頼とかそういうものなんだと最近思う。だから上記二行の歌詞に共感の嵐が巻き起こるわけで。嗚咽もするわけで。

 

認められたくないわけじゃない

 

他人の評価を気にしても仕方がない。そんなことはわかりつつも、ついついSNSについたいいねの数を気にしてしまう。それが何を証明するわけでもないのに、フォロワーの数を気にしてしまう。とはいえマズロー先生も言うように、それは別におかしなことじゃない。至極純粋な人間の欲求。それも割と高次元の欲求だ。

 

悲しいんじゃなくて疲れただけ

休みをください誰に言うつもりなんだろう

 

そう!周りに認められること自体は別に悲しいことじゃない。でもたまにひどく疲れてしまうことがある。頑張っているのに相応しい対価をもらえない時。頑張ることさえ難しい時。承認を得ることはそんな簡単なことじゃないし、信用は積み上げるのは難しくても壊すのは至って簡単だ。そんなヒリヒリした生活を続けていて疲れないわけがない。誰かの目を気にしながら、その期待に応えられない状況が続けばそりゃ誰だって疲弊する。だって報われてないんだから。でも別にそれは誰かに指示されてやってるわけじゃない。からやめたくても誰に言っていいかわからない。そしてここからこの曲はサビを迎える。この時点で嗚咽はもう止まらない。

 

奪われたのは何だ奪い取ったのは何だ

繰り返して少しずつ忘れたんだろうか

汚れちゃったのはどっちだ世界か自分の方か

いずれにせよその瞳は開けるべきなんだよ

それが全て気が狂う程まともな日常

 

ここでいう世界とは自分以外のことだろう。奪う奪われるという表現に自身とその他の距離を感じる。油断をすると奪われる、そんな世界。それがまともな日常。そりゃ気も狂うし、疲れる。けどきっと誰しもが過ごしている日常。だから善悪はさて置きそこから目をそらしてはいけない。この段階でまだ曲は2番に辿り着いていないのに「そう!それ!」を2百回は連呼している。頷きすぎると信用も低下するだろうから控えめにはしたい。また、汚れについて藤原は別の曲でこう歌っている。

 

汚さずに保ってきた手でも汚れて見えた

記憶を疑う前に記憶に疑われてる

『カルマ』

 

余程のことがない限り自ら汚れたいとは思わないだろう。綺麗でいたい。それでも気がついたら汚れてる。原因は自分にあるのか、自分以外なのか。できれば自分で汚したとは思いたくない。けどそうじゃないとも言い切れない。そのくらい曖昧で、そのくらい自然に人間は汚れていくもの。ここでまた控えめに頷く。

 

人間から離れて気づく人間という仕事

 

人間という仕事をクビになってどれくらいだ

とりあえず汗流して努力をしたつもりでいただけ

 

ギルド2番の歌詞はこう続く。ここまでAメロに破壊力がある歌がこの世にどれほどあるだろう。「とりあえず」と「つもり」のパワーワード感がすごい。たいていの努力ってきっとこれで。結果が出ない限り、認められない限りどこまでいっても自己満足。で、認められないことがわかった瞬間にとても自虐的なものになる。「とりあえず」って言っとかないと自分を守れないし、「つもり」にしとかないと希望がない。この最低限の自己承認、背筋が凍る。でもどれだけ自己肯定しても、周りを見る目はどうしても変わってしまう。負い目を感じてしまう。

 

思い出したんだ色んな事を

向き合えるかな沢山の眩しさと

 

認められることを諦めると、仕事だろうがなんだろうが人間をやってる人が眩しく見える。と、同時にそんな人達と対峙することの後ろめたさも出てくる。どれだけ自己肯定をしたところで、結局は他人から相応しいだけの給料がもらえないと人間満足できない。し、一度覚えた蜜の味はなかなか忘れられない。2番でもまたサビにいく前に頷きが止まらない。

 

美しくなんかなくて優しくも出来なくて

それでも呼吸が続く事は許されるだろうか

その場しのぎで笑って鏡の前で泣いて

当たり前だろう隠してるから気付かれないんだよ

夜と朝をなぞるだけのまともな日常

 

人間という仕事はそれなりの美意識(常識、倫理)がないとできない。つまり人間を辞めるということは最も美しくない行為。そして当然人間辞めるくらいの精神状態で人の目も気にしてられない。承認されることを生き甲斐にすればするほど、その承認を失った時何のために生きたらいいのかわからなくなる。でも美しくない、優しくない自分をさらけ出すことはとても恥ずかしい。すでにボロボロの自尊心をこれ以上痛めつけるか、なんてことでついつい自分の殻にこもりがち。その状況を夜と朝をなぞるだけという言葉で見事に表現してしまう藤原基央は恐ろしい。

 

結び

自分以外の誰かに認められたいというのはとても大事な欲求だ。それがなかったらおそらく生きる意味も薄れてしまう。こんな文章も書いてない。仕事ではないとわかっていたところで、かなり上のステージにいかない限り意識しなければ認められないし、意識した時点でもう仕事と言っても差し支えない。そのくらい頑張らないといけない。ただ、必死に周りの目を気にしながら生きるのは、多分疲れる。認められているうちはまだいいが、結果が出なくなった時にその反動が一気にくるだろう。そんな時決して万人に受けなくても、一人でも二人でも認めてくれる誰かが周りにいたら救いにはなる。そんな人が周りにいたら幸せだし、まずはその誰かを自分の世界の中に呼ぶことから始めないと、いつまでたっても職業人間から抜け出せないような気がする。ので誰か僕の周りに来てください。