眼鏡概念

適温探し

毒にも薬にもならない話

僕はサイヤ人になれない

大阪にいた頃、南森町のとあるお店でお酒を飲んでいた。

 

カウンター席で、両隣に芸術家とマジシャンが座っていた。僕は全身真っ黒な装いで、右を向けば赤いセーターに赤い髪の毛のマジシャン。左を向けば髪を金色に染めた芸術家。正面にはカウンター越しにその店の店主。異様な空間だった。

 

とはいえマジシャンが手品をするわけでもなく、芸術家がおもむろに絵を描き出すわけでもなく、ただただ取り留めのない話に花を咲かせていた。髪の色は違うけど、同じ人間でなんだかホッとしたのを覚えている。が、そんな安堵もつかの間だった。

 

どういう経緯でそうなったのかは覚えていないが、お酒を飲みながら作品が生まれる時の精神状態について話していた。当然僕は何も生み出していないので、左右に首を振って適当な相槌を打っていた。両サイド共通の意見として、作品を生み出す直前はいつも瀕死状態になるらしく、ギリギリまで自分を追い込むことによってどんどん良いものができるようになるとのこと。

 

なにこのドラゴンボール的世界観ッ!!!

 

実際に声に出したか心の声か、どうやら向かいに立っていた店主にも伝わったようで、以降ドラゴンボール的世界観がこの店の共通言語になった。芸術家もブリーチを使って髪を脱色したと言っていたが、自慢をしたくなかっただけで、本当は修行の結果髪の色が自然と金色になったんじゃなかろうか。そう、スーパーサイヤ人的な。もしかしたら右側のマジシャンも超サイヤ人ゴッド(正義の心を持ったサイヤ人の集積体)なのかもしれない。僕の中に眠る少年の部分が一気に爆発、いや、スパーキングした。

 

「産みの苦しみ」というありふれた言葉があるが、実際に体現している人間の言うそれは重みが違う。マジシャンは日常生活のありとあらゆる時間を手品の製作と練習に費やしたい、と手元にあったコインを指で回しながら事も無げに言う。左耳の方から「わかる」という芸術家の相槌があったが、僕にはわからない。起きたらまずぼーっとしたいし、寝る前もちょっとはぼーっとしたい。隙あらばぼーっとしたい隙だらけの人間、それが僕だ。全然誇らしくない。

 

サイヤ人になるのはこの時点で諦めた。相手は生まれながらの戦闘民族、土俵が違う。目指すべきは人間界のNo.1。そう、クリリン。とはいえクリリン天下一武道会の常連、舐めてはいけない。次点のヤムチャも終盤こそ噛ませ犬としての地位を確立してしまったものの、序盤は狼牙風風拳を見事に操りヒロインのブルマを虜にした。どちらにもなれそうな気がしない。そうやって店主と二人で目指せそうな地球人のハードルを下げていった結果、たどり着いたのがチャパ王だった。

 

チャパ王の事をよく知らない人のために、軽く説明する。ドラゴンボール序盤に登場し、天下一武道会に出場した。作中では不運にも二度孫悟空と対戦し、主人公補正等を使われるまでもなく敗北している。得意技は手が八本に見えるほどの速さで拳を繰り出す「八手拳」。かつて天下一武道会に出場し、対戦相手全員から一度もかすられもせず優勝したという実力者だ。

 

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チャパ王。「うらむなよ 敗北を知るのもまた修行だ」というセリフがドラゴンボールの世界観を端的に表している。そしてこういうことを言っているキャラは大体負ける。

 

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「安心せい殺したりはせんからな」という会心の発言も、「サンキュー!」の一言であっさり片付けられている。もう悲しい通り越して切ない。そして当然のごとくこの後敗北する。

 

チャパ王になりたいか?と問われてあなたは首を縦にふるだろうか。僕はなりたくない。いや、見た目がとかの話じゃない。確かに見た目もミスターサタンの下位互換みたいで嫌だけど、それ以上になんだろうこのにじみ出る井の中の蛙感。過去優勝経験者とは到底思えない噛ませ犬感が受け入れられない。辛い努力の果ての目標地点がここにあると知った上でひたむきに走り続けることができるだろうか。できない。芸術家を前にして「敗北を知るのもまた修行だ」なんて言えるだろうか。絶対に言えない。僕はサイヤ人になれないし、チャパ王にもなれない。

 

そして僕はドラゴンボールの世界観で戦うことを諦めた。何も同じ土俵で、しかも人間が不利な土俵で競うことはない。僕らには僕らが目指すべき理想像がきっとあるはずだ。と飲食店店主に飲食物じゃないオススメを聞いたところ、Netflixでやってるデビルマンを勧められた。多分そういう意味で勧められたわけじゃなくて、ただ面白いアニメを教えてくれたのだろう。でも確かにデビルマンの主役は人間。悪魔の体を手に入れたとはいえ、心は人間だからギリギリセーフだろう。そして悪魔の体も後天的に手に入れたものだからまだチャンスはある。そこだ。その世界しかない。悪魔の力があればもしかしたらスーパーサイヤ人ともなんとか戦えるかもしれない。

 

というギリギリの向上心を残して、店を後にした。

チャパ王の事はもうこれっぽっちも頭になかった。

 

結び

他人と何かを比べる時に、ついつい同じ世界観で比べてしまう。そこから生まれるものは嫉妬しかない。でもこの世界は鳥山明が作ったものではないし、尾田栄一郎によって描かれたものじゃない。どの世界観を選ぶかは自分で決められる。できれば自分が活きるフィールドで、目指すべき姿を見つけていくことが大事なんだと思った。気づかせてくれてありがとう、チャパ王。帰宅してすぐにNetflix登録して、デビルマンを見た。

 

そこにあったのはさらなる修羅の道だった。

人間という仕事について

日常非日常に関する取り留めのない記事を書きながら、いつものようにBUMP OF CHICKENの音楽を聴いていた。もう何度目かわからないユグドラシルブームがこのタイミングで襲来している。の中でも、4曲目に収録されているギルドの刺さり方が昨日ぐらいからえげつなくて、一回聞いては嗚咽。もう一回聞いては嗚咽。を繰り返しているから、全然BGMになってくれない。しまいには歌詞検索してじっくり読みだす始末。

 

人間という仕事を与えられてどれくらいだ

相応しいだけの給料貰った気は少しもしない

 

冒頭からいきなり脳天に直撃を喰らう。この時期の藤原基央の歌詞は割と自分とその他の人々が明確に切り分けられているような気がする。そして自分と他人がいたらそこには当然世界が生まれて、その世界の中では人間は仕事として捉えられている。人の目や他人の評価を気にしたりしだしたのがいつからかはわからないが、確かに自分もいつからか人間をこなしていた。仕事をすれば当然対価が発生する。その給料は必ずしも貨幣ではなくて、もっと漠然とした、例えば評価とか信頼とかそういうものなんだと最近思う。だから上記二行の歌詞に共感の嵐が巻き起こるわけで。嗚咽もするわけで。

 

認められたくないわけじゃない

 

他人の評価を気にしても仕方がない。そんなことはわかりつつも、ついついSNSについたいいねの数を気にしてしまう。それが何を証明するわけでもないのに、フォロワーの数を気にしてしまう。とはいえマズロー先生も言うように、それは別におかしなことじゃない。至極純粋な人間の欲求。それも割と高次元の欲求だ。

 

悲しいんじゃなくて疲れただけ

休みをください誰に言うつもりなんだろう

 

そう!周りに認められること自体は別に悲しいことじゃない。でもたまにひどく疲れてしまうことがある。頑張っているのに相応しい対価をもらえない時。頑張ることさえ難しい時。承認を得ることはそんな簡単なことじゃないし、信用は積み上げるのは難しくても壊すのは至って簡単だ。そんなヒリヒリした生活を続けていて疲れないわけがない。誰かの目を気にしながら、その期待に応えられない状況が続けばそりゃ誰だって疲弊する。だって報われてないんだから。でも別にそれは誰かに指示されてやってるわけじゃない。からやめたくても誰に言っていいかわからない。そしてここからこの曲はサビを迎える。この時点で嗚咽はもう止まらない。

 

奪われたのは何だ奪い取ったのは何だ

繰り返して少しずつ忘れたんだろうか

汚れちゃったのはどっちだ世界か自分の方か

いずれにせよその瞳は開けるべきなんだよ

それが全て気が狂う程まともな日常

 

ここでいう世界とは自分以外のことだろう。奪う奪われるという表現に自身とその他の距離を感じる。油断をすると奪われる、そんな世界。それがまともな日常。そりゃ気も狂うし、疲れる。けどきっと誰しもが過ごしている日常。だから善悪はさて置きそこから目をそらしてはいけない。この段階でまだ曲は2番に辿り着いていないのに「そう!それ!」を2百回は連呼している。頷きすぎると信用も低下するだろうから控えめにはしたい。また、汚れについて藤原は別の曲でこう歌っている。

 

汚さずに保ってきた手でも汚れて見えた

記憶を疑う前に記憶に疑われてる

『カルマ』

 

余程のことがない限り自ら汚れたいとは思わないだろう。綺麗でいたい。それでも気がついたら汚れてる。原因は自分にあるのか、自分以外なのか。できれば自分で汚したとは思いたくない。けどそうじゃないとも言い切れない。そのくらい曖昧で、そのくらい自然に人間は汚れていくもの。ここでまた控えめに頷く。

 

人間から離れて気づく人間という仕事

 

人間という仕事をクビになってどれくらいだ

とりあえず汗流して努力をしたつもりでいただけ

 

ギルド2番の歌詞はこう続く。ここまでAメロに破壊力がある歌がこの世にどれほどあるだろう。「とりあえず」と「つもり」のパワーワード感がすごい。たいていの努力ってきっとこれで。結果が出ない限り、認められない限りどこまでいっても自己満足。で、認められないことがわかった瞬間にとても自虐的なものになる。「とりあえず」って言っとかないと自分を守れないし、「つもり」にしとかないと希望がない。この最低限の自己承認、背筋が凍る。でもどれだけ自己肯定しても、周りを見る目はどうしても変わってしまう。負い目を感じてしまう。

 

思い出したんだ色んな事を

向き合えるかな沢山の眩しさと

 

認められることを諦めると、仕事だろうがなんだろうが人間をやってる人が眩しく見える。と、同時にそんな人達と対峙することの後ろめたさも出てくる。どれだけ自己肯定をしたところで、結局は他人から相応しいだけの給料がもらえないと人間満足できない。し、一度覚えた蜜の味はなかなか忘れられない。2番でもまたサビにいく前に頷きが止まらない。

 

美しくなんかなくて優しくも出来なくて

それでも呼吸が続く事は許されるだろうか

その場しのぎで笑って鏡の前で泣いて

当たり前だろう隠してるから気付かれないんだよ

夜と朝をなぞるだけのまともな日常

 

人間という仕事はそれなりの美意識(常識、倫理)がないとできない。つまり人間を辞めるということは最も美しくない行為。そして当然人間辞めるくらいの精神状態で人の目も気にしてられない。承認されることを生き甲斐にすればするほど、その承認を失った時何のために生きたらいいのかわからなくなる。でも美しくない、優しくない自分をさらけ出すことはとても恥ずかしい。すでにボロボロの自尊心をこれ以上痛めつけるか、なんてことでついつい自分の殻にこもりがち。その状況を夜と朝をなぞるだけという言葉で見事に表現してしまう藤原基央は恐ろしい。

 

結び

自分以外の誰かに認められたいというのはとても大事な欲求だ。それがなかったらおそらく生きる意味も薄れてしまう。こんな文章も書いてない。仕事ではないとわかっていたところで、かなり上のステージにいかない限り意識しなければ認められないし、意識した時点でもう仕事と言っても差し支えない。そのくらい頑張らないといけない。ただ、必死に周りの目を気にしながら生きるのは、多分疲れる。認められているうちはまだいいが、結果が出なくなった時にその反動が一気にくるだろう。そんな時決して万人に受けなくても、一人でも二人でも認めてくれる誰かが周りにいたら救いにはなる。そんな人が周りにいたら幸せだし、まずはその誰かを自分の世界の中に呼ぶことから始めないと、いつまでたっても職業人間から抜け出せないような気がする。ので誰か僕の周りに来てください。

思考vol.2 〜日常・非日常〜

幼稚園から帰ってきた甥っ子と遊んだり、父親と晩酌したり、成人してから初めて迎えるゆったりまったりとした時間を過ごしています。ここ数年は年末年始しか実家に帰らないような生活をしていたので、テレビで特番をやってないだけでなんだか不思議な気分になります。流れることをやめて初めて気づいたけど、家族と過ごす本当に何気ない時間もちょっと前までの自分には当たり前どころか、作るのが難しいものだったんだなぁと思わず目を細めます。これを日常にしていいのか非日常にしておいたほうがいいのかはなんとも言えませんが。

 

自分が住んでいる場所の周辺でしか日常は作れない。

 

わざわざ太字にするまでもない当たり前のことなんですが、なんだか最近そういうことを思います。住む環境を変えたからでしょうか。それも1日2日で日常化するものではなくて、体に馴染むまでにそれなりに時間がかかる。なんてことを今現在日常と非日常の間でふよふよしながら考えています。家族が過ごしている日常の中にお邪魔させてもらってる、うまく伝わる気がしないですが今はそんな感じ。ずっと実家で生活して、近辺で働いてたらそんなこと考えることもなかったはずなので、住環境が人に与える影響は計り知れません。

 

そもそも日常、非日常とは?

 

なんなんでしょう。多分こんなこと考えられるのも間にいる今の時期くらいで、大半の日常を過ごしている人は意識もしないと思います。僕も「非日常=海外旅行」くらいの認識でした。僕の田舎はちょっとした海外よりも不便な地域にあるので、帰省も立派な非日常。「日常にあらず」という言葉の通り、ここではないどこかに非日常が転がってるのかもしれません。じゃあここではないどこかには何があるのか。少ない経験とない知恵を絞って、抽象論を繰り広げていきます。まず当然そこには「日常にないもの」がある。日常にないものって何。面白さ。刺激。いやでも実家に刺激はなかった。じゃあ何がある。ストレス解消。安らぎ。確かにそれは実家にあった。なぜ安らぐ?日々の喧騒から解き放たれるから。それか。

 

ライブ感満載で書きましたが、普段何かを考える時は大体こんな感じでずぶずぶのめりこんでいきます。別にそれが言いたかったわけじゃなくて、今現在この記事を見切りで書き進めているだけなのですが。読みづらい文章でごめんなさい。今後はなるべく気をつけます。さて置き、非日常にあるものは刺激安らぎだけど、この二つが両立してるのがなんだかすごい。言い換えるなら日常には刺激と安らぎがないことになってしまいますね。今これを読んでる皆さんがどうかはわかりませんが、僕はそうでした。刺激もなければストレスも溜まる、そんな日常の中で常に非日常を求めていました。

 

刺激と安らぎのある日常を過ごすためには

 

書きながら思ったんですが、子育てってまさに刺激と安らぎの日常なんでしょうね。子供が生まれた友人や、甥っ子を見る家族の顔を見てるとそう感じます。なので皆さんどんどん子作りをしましょう。なんてこと簡単に言えるわけじゃないし、もっとこう気軽に、もう少し広い範囲で刺激と安らぎ溢れる日常をつくれやしないものかと頭を悩ませています。日常の非日常化とでもいいましょうか。さらに一歩進んで非日常の日常化までいけたら最高です。言葉遊びみたいになっていますが、僕は日常の非日常化と非日常の日常化は異なるものだと思ってます。前者は単発(催し)のイメージで後者は連続(生活)のイメージ、で伝わりますか?無理ですか?

 

日常にイベントを起こしてどんどん非日常を作り出しつつ、その非日常をだんだん日常にしていく。そこに僕が考えるちょっと面白い日常はあるのかな、なんて甥っ子を視線の片隅に置きながら思ったのでここに書き記しておきます。自分が住んでいる場所の周辺でしか日常はつくれないなんて思い込みでしかないことを、非日常の日常化によって証明できたらこれ幸い。

思考vol.1

ここ数ヶ月ちょっとばかり普段より考える余裕と時間と体力があったので、これまでを振り返ってこれからをどうしていきたいのか思索に耽っていました。とても贅沢でとても不安な毎日でした。ある程度答えがまとまったので書き残しておきます。備忘録的な私信です。僕のことを知らない人が読んでもなんのこっちゃわからないと思います。万人ウケする文章が書けなくて申し訳ありません。

 

つい先日、それまで12年間過ごした関西を離れて実家のある九州に帰ってきました。関西での日々は辛かった、、なんてこともなく。むしろそれまでの自分だったら考えられないくらい沢山の人に囲まれて、毎日これは夢なんじゃないかって錯覚してしまうくらい楽しかったです。じゃあなぜその環境を投げ出したのか。今でもなんで?って当時の自分に問いかけたくなる日もありますが、多分不安だったんだと思います。色んなことがそれなりに上手くいきすぎてて。別にこれは自慢でもなんでもないし、あくまで自分が楽だと思う状態が続いていたということで。それも途中からは特段がむしゃらにやらなくてもその状態が続くようになっていて。良くも悪くも安定している。その安定した状況をいつからかなんだか恐ろしいものに感じるようになっていました。今思えば贅沢極まりない悩みです。

 

ここから先特段無茶をしなければある程度予想の出来る未来。楽しくないわけじゃないけど、大きくは変わらない将来。そんな暮らしを日々こなしていく中で、自分の思考が停止してしまうんじゃないかという不安。を感じながら生活を送っていました。

 

関西で色々な人と関わりながら暮らしていくうちに、いつの間にか自分の中で生きるテーマみたいものを掲げるようになっていました。それが「自分の目の届くところ手の届くところにいる人が今よりもちょっと面白いと思える日常をつくる」です。いつからそう思うようになったのかはあまり覚えていませんが、京都にある猿基地というお店の刺激を強く受けていると思います。なので通いだした大学3回生くらいからでしょうか。

 

そのテーマに従いながら関西で、フットサルチームをつくり、クラブマルシェという大人の部活動を目的とした組織を作って色々な部活や講座を催したり。その他も大小様々なイベントをやってきました。大半は思いつきでしたが、それをすかさず拾ってくれる稀有な友人が何人もいたことで楽しむことができました。何かを始めることに対するハードルがそんなに高くないのも、実際にやってしまえば何とかなることを教えてくれた周りの友人のおかげです。そんなこんなで平日会社員、週末イベンターとして20代を駆け抜けてきましたが、30歳を迎えそろそろ自分の足で立たねばという使命感と焦燥感を抱えて一旦拠点を九州に移しました。

 

なぜ九州か。

 

関西に出てくるまでの18年間を長崎県の田舎町で過ごしていたので、地元に刺激があまりないことはなんとなくわかっていました。でもそこで暮らしながら物事を考える時間をとることで今自分が抱えている問題のヒントが見つかるような気がしていました。

 

「地域にとらわれないマイクロコミュニティをつくる」

 

これが今僕が解決したい問題です。マイクロコミュニティはサードプレイスに置き換えてもらっても差し支えありません。気軽に集まれる小さな(少なくともお互いの顔と名前がわかる程度の)集団をイメージしています。

 

というのも、僕は20代の序盤で猿基地というサードプレイスに出会うことで刺激的な日々を過ごすきっかけをもらうことができました。が一方でもし自分がその時京都に住んでいなかったらそんな場所に出会えていなかったのもまた事実です。何もない場所から出てきたので余計にそういうことを感じました。

 

そういうきっかけに出会う確率は都市部に住めば住むほど多いのはそりゃもう当たり前です。東京に人は集まるし、気になるイベントの大半は東京で開催されています。今こっちに帰ってきたことであらためて都市部と田舎の流れている時間の密度の違いに愕然としています。

 

でも解決するためには都会に出る以外の選択肢はないのか。そんなことを改めて考えてみたくなりました。サードプレイスは固定された場所(しかも自宅や職場付近)にあるものとされているけれどその概念をぶち壊せないかということを考えるために、あえて自分を辺鄙な環境においてみようと思いました。期間限定とはいえ、地元に帰る無理を聞いてくれた家族には感謝してもしきれません。

 

そんなこんなでこれからもう少しの間、目や手や足を使いながら求めるマイクロコミュニティについて時間と体力と気力の許す限り考えて動いていきます。道中どこぞに根を生やすこともあるかもしれませんが、あくまで最終的な目標地点は世界中のどこにいても(地球外でも)集まって話したり刺激しあうことのできる小さな集団をつくることです。

 

僕が猿基地のみつしろさんに出会ったのは21歳の時でした。その頃のみつしろさんの年齢が30歳だったので、今の自分と同世代です。そして人間は1年に同じ数だけ歳をとるので当然今はみつしろさんも40代を迎えています。例えば同じ相手に力添えしても40代からのそれと30代からのそれは異なる性質を持っていると思うし、30代の頃のみつしろさんから受け取ってきたことや、今30代のステージにいる自分だから伝えられることを日々意識しないといけないなぁと思う次第です。10年離れているから受け取れるものとか、与えられるものとか。ただそうこうしてる間にもみつしろさんは走っているからかっこいい。

 

そんな猿基地で教わったあれこれ。の中でも特に興味深い「CCP+T」というフレームがあります。詳しくは下記リンク先のみつしろさんのブログを読んでもらえばと思いますが、端的に言うと承認を得るためにはターゲットとコンセプトが大事だという話です。(自分でもまだ消化不良。だからすごい雑。)

 

yuto3246.officialblog.jp

 

せっかくなので先に挙げた自分の人生のテーマを、あらためてコンセプトとターゲット(「何によって」「どんな分野で」「誰からの」承認を得るか)の形に更新してみました。

 

「自分が影響を受けてきたものを自分の言葉に置き換えて伝えることで、手の届くところ目の届くところにいる人が今よりちょっと面白いと思える日常をつくる」

 

ための地域にとらわれないマイクロコミュニティづくり。ちゃんとフレーム教わらないまま我流で考えたので合ってるかはわかりませんが、個人的にはしっくりきてます。ちょっと長ったらしいけど。これからはこのコンセプトに従って思考と実験を進めていきます。

 

とはいえぬるいくらいがちょうどいい。あまり気取らず、基本的には毒にも薬にもならない話をこれから日々つらつらとここに書き留めていこうかと。思う次第なので気が向いたらどうぞお付き合いください。