眼鏡概念

適温探し

毒にも薬にもならない話

思考vol.6 〜所有・ストレス〜

大阪を離れて1ヶ月程しか経ってなかったけど、所用で一昨日まで約10日間大阪に滞在していた。「今どこにいるの?」といろんな人から聞かれるけど、自分でも明日の今頃どこにいるのかわからない。ノマドライフを満喫してる。

 

そんなに間隔も空いてないからもはや久しぶり感もまったくなくて顔合わせる度に申し訳ない気持ちになったけど、それでも対面でのやり取りはSNSの500倍(※個人的見解です)捗った。今考えているコミュニティ云々のことや今後の自分の方向性について色んな人と話ができて本当に良かった。道中パソコン開くのが面倒だったこともあってインプット過多になってしまったので、体内で脂肪に変わる前に徐々に吐き出していきたい。

 

関西滞在中は何箇所かの拠点を転々としていた。ので、常にすべての荷物を持ち歩いていた。普段から持ち物はそう多くない方だと自負しているが、それでも10日分。あと結婚式もありスーツ類一式があったので、スーツケースとトートバッグ(に荷物が収まりきらず、途中でリュックを買った。このリュックとても良いのでまた紹介したい。)という重装備。リュックはまだ良い。スーツケースがとにかく厄介だった。

 

確かに重い荷物を転がして運べるのはとても楽かもしれない。けどとにかく邪魔。どこに行くにも邪魔。喫茶店に入ろうもんならその分のスペースを確保しないといけないし、イベントに参加しようと思ったらどこかのコインロッカーに預けないといけない。しかも都心部のコインロッカーは原則空いていない。空いてなくてもあればまだマシな方で、ちょっとマイナーな駅になるとコインロッカー自体設置されていない。自分の宿を探すよりもスーツケースを収めるコインロッカー探す方が難儀だった。手のかかる荷物。まさにお荷物。

 

1日目2日目はまだ良かったが、3日も一緒にいるともうスーツケースが鎖付きの鉄球に見えてくる。そのくらいに精神的負担が大きくなってきた。引きずりながら梅田や河原町の人混みをかき分けている時の心情はもう囚人のそれだ。解放されるためにはコインロッカーを見つけるしかないし、そこで小銭を払ってやっと釈放。それで晴れて一般人の仲間入りを果たすことができる。シャバに出られるなら出費も全然痒くない。そんな妄想も影響したのか。振り返るとずいぶんとコインロッカーに課金したと思う。

 

今まで特に意識してこなかったが、改めて街を歩くと結構な数の人がスーツケースを転がしている。観光客はもちろん、サラリーマンもそう。みんな何食わぬ顔をしているが、内心はみんな囚人のそれになっているかもしれない。今度からそういう人を見かけたらできるだけやさしくしようと心に誓った。

 

荷物は軽いほうがいい

モノを持つことはそれだけでストレスを生み出す。今回それを身体的感覚として経験することができたのは良かった。登山家が山に持参する荷物を1gレベルでなるべく軽くするという話を聞いたことがある。彼ら彼女らにとっては多少高くても軽い製品の方が好まれるとのことで、正直今まで全く共感できなかったが今ならその気持ちもわかる。わざわざ山に登らなくてもわかることができたから怪我の功名。(こうしてまた一つ山に登る理由を失っていく)

 

行く前は使うだろうと思って詰め込んだものの、実際現地で使っていないものもたくさんある。kindle端末は1回も触っていない。久々の大型書店に浮かれてハードカバー本3冊買ってしまったのが原因で間違いないし、なんならこのせいで重量が相当増した。でもこれに関しては全く後悔していない。服もコインランドリー等を駆使したらもう少し少なくてもいける。足りなかったらユニクロやコンビニで買い足せばいい。ユニクロもコンビニも田舎とは違って至る所にある。

 

なんてことを考えながら行き着いたのが、少し足りないくらいでちょうどいいという思考だった。本当に困った時は案外なんとかなるし、本当に困る状況なんてそうそう来ない。ついつい心配になってあれもこれも必要だと思ってしまうけど、本当にいる物って実はあんまり多くないのかもしれない。某曲にもあるが、出かけるのに必要なのは一切れのパンとナイフとランプで充分だ。ああでもやっぱりスマホは持っていきたい。ハードカバーの本は家に置いてて大丈夫。

 

ずっと同じところにいると気づかないけど、気づかないうちに所有することでのストレスが蓄積しているかもしれない。ものを持つと管理が必要だし、余計な手間や負担がかかってしまう。定期的に自分にとって必要なものを選別してみるのも悪くないような気がします。のためには引っ越しとか、旅行とかが有効なのかもしれませんね。